いてくれるだけでいいということ


赤ちゃんが生まれたとき、誰だって、本当にこの子に会えてうれしい、と思うし、本当にいてくれてくれるだけでいい、と思うのではないだろうか。
娘を産んだ時、可愛くて可愛くて、みんな太古から、こんな素晴らしいことに出会ってきたのか・・・、これほどの喜びがあるのか、と改めて実感した。
息子は、出勤や通園のあとで起きてきていたから、二人っきりの時間、目が覚めた彼に、「ああ、今日も会えたねえ。」と言っていた。私は、毎朝、息子に会えることが、単純に嬉しかったのである。

可愛い顔をしているから、とか、何かに秀でているから、なんてレベルではなく、その人がいてくれるから、という喜びがある。
人間って、本来そういうものではないかなあ、と思う。
いること、そのことだけで価値がある。価値、というと、なんだか何かをしなければならないようであるけれど。
世話させてくれることだけでもありがたい、ということもある。

なんにもできないくせに、いるだけで、周囲を喜ばせている存在。目が合うと、ニコッと笑う。その笑顔が、どれほど世界をしあわせにしていることか。
みんな、生まれたての頃、周りの人をしあわせにしていたんだ。
いるだけでいい。存在するだけでいい。
そして、ほんのちょっと、人様の役に立っているのなら、100点満点ではないか。

ほんの少し、人がしあわせになれるような言葉を、ひとつだけでも発することができたなら、その日の自分をちょっとほめてあげてもいいと思う。
入院中の人が、お世話をしてくださるナースの方に、ちょっと素敵な言葉を掛けるだけで、その人はその日一日、気持ちも身体も楽になるかもしれない。
生徒が、先生に、ほんちょっといい子でいて、ほんの少しでもねぎらいの言葉を掛けるだけで、先生の気分はよくなって、元気になるだろうな。
家庭でも同じで、してもらうのが当たり前、ではなくて、できていないことばかり追っかけないで、してくれたことにちょっと「ありがとう。」と言えたら、ほんのちょっとしあわせになるんじゃないかな。

なあんて、とってもきれいごとを言っているのかもしれない私・・・。
でも、みんながちょっとずつっていうのは、まったくの本音なんだけど・・・。