急展開ー父の闘病

先日の日曜日に、大阪の実家に帰ってきた
移動時間がもったいなくて、土曜日の夜、夜行バスに乗った。
あまりよくは眠れなかった。
朝、最寄りの駅まで、父が迎えに来てくれた。
グッと我慢をして平静を装う。

家に着いて、まあ、話さなければならないこと―つまりは兄や妹を立てて、私はもう、あまり目立たないように、挨拶だけしに来たような顔をしていた。
し、し、しかし・・・。
「ちょっと借りるわね。」と母を連れ出し、お昼ご飯を食べながら話を聴いてみると、あれこれ不安があるらしい。治療にも、父の生活にも。
それで、帰ってから、父にあれこれ注意をし、いろいろ話しているうちに、「あれが片付いていない、あれが気になる。」と言い出し、なんでも自分でやりそうな気配だったので、「そんなこと言うんやったら、また今度の教室の休みの日に、私、来るから!」と叫んでしまった!
今、できることするわ!と言って、せめても、一番気になっているだろうところを片付けだした。正直、エプロンを持って来なかったことを後悔し始めた。
そのうち、父が、あれも気になる、これも気になる・・・、と言い出して・・・、みんなで電車の時間を気にしながら、ぎりぎりまでダンボールに詰めたり、片付けたり、いろいろ仕事をしていた。
ありがとう。気いつけて帰りいや・・・、と言われながら、父が送ってくれた車を降りるとき、「今度、朝、着いたら、ここで待ってるからな。」と言われて、エッ!?私、毎週、夜行で来るのん!?
そう言えば、帰り道、お母さん、駐車場ないから、車でなんか来られへん!って言ってたのけど、結構駐車場あるやん、と言っていたのであるが、「駐車場、あるのはあるさ。」と言われて、「車やったら、小回り利くから。」と言っていたら、「疲れるやろ?でも、まあ、小回りは利くわな。」とまんざらでもない様子。

母に、則電話してみると、「ほら、みてみ、お父さん、嬉しかったんやんか、あんたが、サッと来てくれて・・・。」と嬉しそうだった。お父さん、ほんまに、あんたが、検査結果が出てすぐに来てくれて、ほんまに嬉しかったんやと思うよ、と言ってくれた。
一番怒られて、一番反抗してきた娘である。不思議なもんやね。
帰ってから、父が、「やっぱり真弓が来ると、賑やかやなあ。」と言っていたそうである。
どうも孫たちが勢ぞろいするよりも、真弓一人いるかいないかでは賑やかさは変わるようである。
それから、朝、ここで待ってる、と車で来てほしそう・・・、というのが、私と母の笑い話になっている。
人に甘えることの知らない、父の、その、今回に限っての本音が面白くて、笑っているのである。

それから・・・。
母が、治療に不安があるらしく、つまりはご説明がよくわからなかったようで、富山に帰ってから、あちこち連絡を取ったり、調べたり、それこそ人間関係総動員、恥ずかしい思いもしながら、ようやく、母の不安を取り除き、私が、先生のご説明をお聴きして、両親に説明することにした。
母にしたら、どうもよくわからず、不安だったようである。
結果的には同じにしても、私が入ることで、冷静になれるのであれば、それでいいと思う。
私も、あれこれ本を注文し、レシピ本を探した。治療に有効なレシピの載った本。
今度、先生にお目に掛かって、ご説明を受けてくる。
そうして、父や母にきちんと説明して、納得がいくように話して来ようと思っている。

その打ち合わせをしていると、電話越しに、「真弓の車で、相乗りしていくんやろ?」と嬉しそうな声が聞こえる。
そうですか?そんなに私の運転で、病院に行って、先生とお話をしてほしいんですか?笑
ではでは、娘は、一生懸命、親孝行することにいたしましょう。
母が、いろいろ大変やろ?ごめんなー、と言うので、「まあ、学資の元取っていただくと思っていただければいかがでしょうか・・・?笑」と言うと、母は、「結構、長いこと掛かるやん。」というので、エッ?!と言ったら、「それだけ長くいきてもらおうということやん。」と言っていた。