チャールダッシュを聴きながら・・・。ー教室で。

生徒とクラシックの話になった。
チャールダッシュが好きだという。
そこで、教室にもCDあるよ!ということで、かけてみたら、チャールダッシュ違いであった。
彼の言うのはモンティのチャールダッシュで、私のはチャイコフスキーの「白鳥の湖」の中のチャールダッシュであった。

私のこの曲との出会いは、阪急少年音楽隊の演奏会でであった。

ある年、そう高校教諭になって2年目が終わろうかとする春に阪急少年音楽隊の演奏を聴きに行って、私は、自分の教えている生徒と同じ年の大太鼓を演奏している生徒に恋してしまいそうになった。

いや、カッコ良かった。
曲目が変わる間に、指でササッと大太鼓をチューニングしている。
プロやん・・・。ステキ。

ところが、いつもは、同じ年ごろの生徒を教えていて、そんなカッコいいなどという気になれない。
生徒は生徒。
教師は教師。

結婚して、集合住宅に住んで、
生徒にカッコいいことかおったけ?
と訊かれて、一生懸命に考えてみたが、いなかった。
そこで気づいた。
自分が全然そういう目で見ていないことを。
むしろ、そういう楽しみのある人の方が楽しいかもしれないけど。(笑)

私は相手との関係性を、その職業で決めて、いや、ほぼほぼ決めつけてしまう癖がある。
職業というより立ち位置かな?
相手がどういう立場の人であろうと、私の生徒となったら、言うべきことは言わせていただく。

学校で教えている、あるいは、今、教室で教えている生徒、保護者の皆様は、玄関を入ったら、好き嫌いなどなくなる。
それは、徹底的に愛することに決めているクライアントである。
内輪になったら、それ以外の関係性は捨てる。
だから、私はクライアントのカスタマーにも、クライアントのクライアントにもならないようにする。

余計な感情が入ったら、やりにくいからである。

が、しかし、よそで見るよその演奏者は、カッコいい、というのが、当時の私の正直な気持ちだったのだろう。
たぶん、その奏者が自分の生徒だったら、やはりカッコいい、というのはなかったんだろうな、と思っている。