立派なくれない族になっていた私・・・。

先日からあれこれと忙しなくいろんなことが続き、苦手な勉強をしなければ・・・、と頑張っていたこともあり、とうとう精神的に参ってしまったようで、大好きな分野の勉強会に出席しても、簡単には気持ちが晴れなかった。

私は割と世話好きだし、自分が少々参っていても、人の話も聴くし、誰かにここは呑んでほしい・・・、などとできるだけ精神的、時間的負担を掛けないようにしているつもりではある。
人の話を聴くことはまあ、仕事だし・・・。だから、あんまりいい加減に人の話を聴くこともない。
正直、一瞬一瞬人の話は真剣に聴くようにしているつもり。
少なくとも聞いたふりすることはない。
例えばの話、初の大学生の非常勤の先生に時間外の仕事をお願いもしないし、学業が第一、試験があるのに、あるいはほかに用事があるのに仕事をしてもらったりはしない。もちろん今まで来てくださっていたベテランの先生にも然り。
まあ、苦手な実務に関しては、申し訳ないなあ・・・、ということがないわけではないにしても。

正直、今の仕事に関してではないのだけれど、「私がこれだけ頑張ってきたのに、そこは、自分のためにはしてもらえないの?」とプライベートで思ってしまうことがあった。
相手の言い分は、「自分が気持ちよく過ごせるように配慮してもらえないか?」ということである。

頭は???

このセリフ、昔から聞いてきたような・・・。

「自分がしあわせだということで、あなたは満足して、しかるべき我慢をしてくれないか?」

要するに自分のために嫌な思いをしても、自分は知らない。自分で解決して・・・、という話。

それは虫が良すぎるというものだろう。

あなたに負担を掛けておいて、おまけに嫌な想いをさせてしまってごめんなさいね、がしかるべき対応ではないか?と思っているのだけれど、間違っているだろうか・・・?

そこで、距離を取ることにして、でも、まあ、自分が間違ってないかな?と思っていたので、しかも相手は一般論で、誰が聞いたって自分の意見が正しいと思う、と主張するので、まあ、念のためにある人に訊ねてみた。
その朝方、なぜか行きついたフェイスブックの動画でも、「これって、もしかしたら、○○と定義できる状態ではないか?」と思っていたし、とりあえず確認。
先日そっち系の分厚い本も取り寄せていたし・・・。

あなたは仕事して、頑張ってるんだから、それでいいんと違う?
それはそれで、置いておいたら?
と言われた。

私も、たぶん他人だったら、即座にそう言うだろうなあ、と思う。
客観的に。

くれない族の私は、もう、誰の言葉も聴けなくなっていた。
けど、そのとき、誰も思ってくれていなくなんかないよなー、といつもふと気づくときがあることに気づかされた。

誰も思ってくれない、って?
たぶん、私の周りにいる人が聞いたら、びっくりするだろう。

立派にたくさんたくさん心配してくれている人がいるじゃない。
気に掛けてくださってる方がたくさんいるじゃない。

おまけに、私がいるから、「こうして高岡にいられるんです。」と言ってまでくださる方もいらっしゃる。
それはウソでしょう?と言いたくなるくらいの話である。

○○年前、高岡に来て、慣れない土地で、お腹に娘を抱えて?一人寂しく歩いていた、あの頃は何なんだ!
私が宛てにされ、頼りにされ、私がいるから高岡に入居れる・・・?
ありがたすぎて、申し訳ないくらいである。

そんな自分がくれない族だなんて。

くれない族にならなくてもいいと実感させてくださったその方としたかつての会話。

「弱い人って、得ですよねー?」とつぶやいたそののちの、おかしな間ののち、

それ、わかる!めっちゃようわかる!

一応、私たちは強いことにしておきましょうか・・・?(笑)

だって、毎日生徒を、我が子のように叱りつけ、時には怒鳴りつけ、なんとか受験に、なんとかちゃんと人生を送れるように、自分よりはるかに大きな生徒を叱咤激励しているのだから・・・。

弱い部分もありながら、うまく付き合えるかどうか?がカギといいうことかな?

とりあえず、1人でやってきた高岡で、人に依存するよりも、支えになることの方が多くなったのなら、それはめでたい話であって・・・。

それから、今朝、暮れの掃除をしながら、1人考えていた。
子どもたちについて・・・。
やっとある意味、もう大人になってしまったけれど、小さいときにあれこれあったことで、私が弱かったために、あるいは弱っていたためにさせてしまったことへの彼らの想いを、甘んじて受け入れようと思えたのである。
自分が弱っていたとき、そう、仕事が支えてくれるようになるまでの自分の弱さを、それは辛く思っていたであろうその点を、自分のせいではないのに、と思っていたけれど、そうして、それについて、十分に申し訳なく思っていたし謝りもしていたけれど、それはそれとして、正しさで追及するのはやめようと思ったのである。ふっと。
本当にふっと。

それだって、くれない族から脱却するきっかけをくれたその人の言葉に、ちょっぴりむくれていたことを思い出していた矢先のことだった。

母さんが、父さんが・・・、などと子どもはあれこれ言うけど、それは勝手に判断してくれればいいのであって、私の経験は私のもの。(笑)
若かった自分が一生懸命、母であろうとして、慣れない土地で奮闘しても、それでも、どこかで弱さを抱えていたことも、それを非難されることも、甘んじて受け入れよう、となぜか素直に思えたのである。

そう、私はこの地で、とりあえず、ちょっとは役立つこともできる仕事をしているのだから・・・。
彼らが親になって、気づいてくれることもあるだろう。(笑)