生きる姿勢ー明快にするということ

昨夜、実家の母と電話で話していた。

今、母は一人暮らしをしている。

私たちが一緒に暮らしてもいい、という提案をしても、母は自分一人で生活していけるまでは一人で生きていきたいらしい。

先日、ある方からお電話があった。
基本的に私は誰かから電話があったり、面談に来られた場合、私は全力でお話をお聴きし、ほかのことを考えないようにしている。
でも、めずらしく、この一時間って?と思われるお電話があった。
中身が全くないし、状況報告?だったら私は必要のない話だなあ・・・、と思ったのである。
例えば、私と話して、気持ちを調えていただいたり、あるいはお子様の何かに影響するような話ならいいのだけれど、これって、単なる雑談か?と思ってしまって、この一時間って、何なんだろう・・・?と本当にめずらしく疑問になってしまったのである。
次の日、またご連絡があった。
対策をとれるのであるのであれば、私は動く。でも、私にどうすることもできない状況を、動かしようのない状況を持ちつつ、それからのことを私にご相談いただいてもどうしようもない。
この話のオチは?と思ってしまったのである。
単なる私との人間関係を保つためだろうか・・・?
それとも・・・?

教育相談や、ほかの相談なら何時間でも(相談料をいただいているとかそうでないとかではなくて・・・。)お聴きする私が、めずらしく、その一時間の価値を考えてしまったのである。

だからと言って、先生に電話したり、連絡したりしてはいけない、と思っていただきたいのではないので、そう思われていただきたいわけではない。
要するに、世間話だったのである。受験についての・・・。
こんな情報あります⇒いやいや、実力をつけていれば、すべてに対応できますよね?
○○の地域の人からしたら、○○の地域の人のことは、こういう感覚で見てるみたいですよね!

私は幾分忙しそうにしていて、でも、この手の話が延々続く・・・。

共通テスト対策はします。
形式がそうだから。
でも、基本にあるのは、すべてに通用する学力があるのが望ましいのである。
とはいえ、受験の場合は、各大学、あるいは共通テストなど、受験する試験の形によって、出題内容や形式には対応する。
けど、ご自分が私に情報を流すのなら、私は必要がないわけで・・・。
いや、情報はいただきたいですが、終始上から目線。教えてあげる、という感じ。
何だったらご家庭で指導されてもいいわけで・・・。私にもほかの先生にもつかなくて大丈夫。

一応、教師なので、私を教師として使っていただければ、と思います。
世間話的な話をお聴きしないわけではありません。
話の導入として、あるいは、親しくなるために、世間話もします。
特に私は、相談する、というのは労力が必要だし、勇気を必要とすることだから、だから、その気持ちを解消するしていただくために、私は、最後に少し、その方に答えていただけるようなご質問をして、その心の負担を軽減するように気を付けているらしい・・・。
これは、ある卒業生が言ってくれたことである。
ー先生は、私たちにも自分の悩み(考えていること)を私たちに振ってくれるから、私、ほかの人に相談した後必ず後悔するのに、先生に相談したときには後悔しないんです、と言われて、気づいた。

ただ、時折勘違いされるときがある。
―私は先生のことを今、友達として話しているから・・・。
とおっしゃる方がいらっしゃるけれど、それも嬉しいけれど、でも、私は教師であり、相談される側なのである。
もちろん、お洋服の話を講師同士ですることもあるし、また、いろんな話をする。

でも、何かを得ていただきたい場合は、一応立場の自覚、というのは大事だなあ、と思うのである。
先日も、経営者という私の立場を完璧に無視して、走られた方がいらした。
普段の人間関係は、仕事には通用しないのである。

で、母。
昨日、行政と医療機関との間での書類について、相談された。
私は即答。
そんな不安になるなら、その双方に連絡すればいいんじゃない?と答えた。
もちろん、形式的な話で、その双方がやり取りするわけもないのに、住所変更したことを伝えていないし、病院に二年も行っていないのに・・・、私は母の気持ちを一生懸命聴いているのに、どうしても気持ちが伝わってこない。
何を解決したら、母の気持ちが収まるのかがわからない。
そこにあるのは、単なる依存。
家族だから、話を何となく聴いてもらう、ということはもちろんあっていい。
でも、私はどちらかというと解決までしたい。
こういうとき、気持ちを聞いていればいいのか、それとも・・・。
少し悩んでしまった。
たぶん、漠然とした不安、ということに尽きるのだろう・・・。

母は、もちろんクライアントさんではないので、これから、ただ話を聴いていればいいんか、何らかの気持ちを聞くべきなのか、そこは娘の感情も入りつつ、これから考えていかなければならない。

それにしても、親しくなるのはいいけれど、人の立場としての境界線は大事だと思っている。
なぜなら、立場があるので、その仕事において、より効果を期待するなら、人間として対等であっても、専門家としての、聞く、という姿勢を忘れては、成り立たないなあ・・・、と考えている。
聴かせていただく側も、そうして、話す側も。

ただ、一つだけ言える。
シンプルなのがいいです。
生き方は。
ぐちゃぐちゃ考えるより、さっさと誰を使ってもいいから、自分の中のもやもやをさっさと細分化して、これを解決したら、こちらも解決、ということはたくさんありますから、その方策はたくさん持っておりますので、何かに迷われたら、どうぞしあわせるーむにお越しください。

ちょうど今朝PodCastでお聴きしていた、先生筋の方の、依存と、自立しながら先生に着く、ということの意味を考えさせられた。
最初はある意味依存が入るかもしれないけれど、その方が、しっかり自立して生きていってくださるのを見ることが一番の喜びには違いないので。