お嬢様、お手をどうぞ・・・。

秋に母と温泉に行ったとき、足が悪くて、杖をついている母の片手を支えたり、腕につかまらせたり、あるいは自動車のドアを開けたりするとき、そこは大阪人、ユーモアの一つもなければ、沽券にかかわるとばかりに、おばあちゃん相手に、

お嬢様、お手をどうぞ・・・、と言ったり、では、お嬢様・・・、と言っていたら、小っちゃい母は、味を占めて、私のことを「おかあちゃん」と呼び出し、それは師匠に、さんざん、「おかん!」と言われてきたから、辞めてほしかったけど、あちらも大阪人なので、まあ、そこは許しといたろー、ということになった。

しかし、お嬢様、はいまだ残っていて、ではお嬢様、行きましょうか・・・、と声を掛けると喜んでいる。
この母の向学心と意欲には参る。

先程、そうだ!来週の日曜日は哲学科カフェがあった!と思い出し、さて、このお嬢様をどうしよう・・・?と思っていた。
その話をすると、即座に、「私も行ったらあかんのん?」と言い出した。
いくら何でも、哲学やよ?という言葉は呑み込んだけれど、先日から、人の本を物色し、私は○○の勉強がしたい・・・、と意欲的なのである。
しかし、さすがに哲学カフェに着いてくる・・・、と言い出すとは思わなかった。

そりゃあ、病院でも言われるだろう。
病院のスタッフの方々皆さんに言われて、本人は不思議がっていたけれど・・・。
お医者様には、「こういう言い方は、失礼かもしれないですけど、お年のわりに、しっかりしておられて・・・。」と言われ、看護師さんには、「皆さんのお薬の管理をしていますが、あまりにしっかりしておられるので、ご自分でしていただいてもいいのかな、と思うくらいです。」と言われ、理学療法士の先生にも、薬剤師さんにも同様のことを言われたらしい。

年のわりに口は達者で、はっきりものを言い、積極的にリハビリもしていたような感じである。

正直、本人には自覚がないらしく、「こんな頼りない私が、なんでそんなこといわれるんかしらん?」などと言っている。

よう言うわー。
哲学カフェに着いてくるなんて、それを象徴している言動ではないか・・・?
だからお嬢様はご自分のしておられることに自覚がないので困る。

そして、では行きましょう・・・、という話になったら、ひるむのかと思ったら、
「私、どんな服、着て行ったらいいのん?」と訊いている天然さは、いったいどうしたものか・・・?
これほど自分の姿に自覚のないお嬢様をお連れするしもべのようなわたくしの努力を誰かほめてくださーい!