しあわせという状態があるのではなくて、感じる心があるだけのような。

今日、車を走らせていて、真っ青な空に白い雲、そして立山連峰を見ながら、ああ、しあわせ、かなあ・・・、と思った。
しあわせは比較するようなものではないので、先日、比較するような表現をされて、思わず私も、比較するような表現をしたけれど、そんなものは、周りから客観したり、人に説明するようなものでもないような気がする。

説明されたら、説明されるべき何かがあるのか?と逆に思わされるような気がする。

ただ、同じような空を見ながら車を走らせていた、過去のある時のある季節を比べて、私の心が軽くなっていることに気づいたのである。
そう、自分の中の時代として、自分の中での心の状態に気づいてしまったのである。

同じ状態でも、しんどいと思うか、ああ、しあわせ、と思うかは、人によって違うし、人の中でも、その人の時代によって違う。
私は誰かと比較するのは苦手である。
いつも比較するのは自分。

表面的な人のしあわせなどわからないからである。
一見しあわせそうな人の悩み事をお聴きしてきた経緯がある。
私だって、しんどい時を感じられないことなどたくさんあった。

だから、しあわせに関してだけは、その人の主観がすべてだと思う。
自分がしあわせであったなら、説明の必要もなければ、自分で感じていればいいのだし、第一、人の目も気にならないだろうから。