しあわせに気づくために存在している人。私にとって。

誰かが、嫌なこと、それは、結果的にかもしれないけれど、そういうことをされなければ、逆に、素敵な人の存在も感じられないのかもしれない。

仮に嫌なことがあったとする。
そしたら、誰かに相談するだろうし、そうすれば、その聞いてくれた人の存在に気づく。
そして、その感じ方が、自分だけのものではないとわかったときに、ああ、自分の感性は間違ってなかった、とも思えるし、怒ってもいいんだ、とも思えるし、でも、怒っても、解決しないから、その次の段階に行こうとも思える。

ステージが変わる瞬間ってあると思う。

それは読む本によって気づかされることもあるし、お付き合いする人によって気づかされることもあるし、いろんなことでわかることがある。
趣味かもしれないし、ちょっと変わって、持ち物によって変わることもあるだろう。

ただ、停滞せずに、いや、一見停滞に見えても、コツコツ努力することだけは忘れないで、しっかり前を向いて歩いていこう。

傷つくことを引きずるということは、傷ついていることにメリットがあるからだ、ということにアドラー心理学ならそういうことになりそうである。

私は傷つき続けたりしない。
前に向かって進まなければ、時間がもったいないから。

そう言えば、ハイデガーの『時間と存在』を読み始めている。
なんだか最後まで読まずに次の本に行くことが多くなってきた。
「Sein und Zeit 」
懐かしいドイツ語。

最後まで読みたいなあ。

遅々として進まずではあるけれど。

なんだか先日からの時計へのこだわり。
もしかしたら、時間というものについて、私は、考えることに惹かれているのだろうか・・・?
私は見えないものを感じてしまいがちな人間だから。