もし自分だけ明日死ぬとしたらいったい何するのかな?

これはよく使ってきた。
自分にとって一番大事なことを知るために。

最初に予備校に勤務し出した頃は、一日中ピアノ弾くかな?と思っていた。
その頃はまだ自分のところに勉強することがそうそう手元にある感覚ではなかったから。
だから子供たちも弾いていたピアノを弾くつもりだったのだろうか?

今でも思う。
音楽がなくても生きていけても、文学や哲学などがなければ無理だろうな、と。
当時はまだまだ嘘ついて生きていたので、そうそう学問に対する気持ちを重く持たないようにしていたと思う。
もし今だったら、普通に過ごす。
いきなり、これが初恋の人です、ジャーン!と現れたって、その後どうなるわけでもないし、長らく会いたかったけど会えなかった人に最後だけ会う、なんて絶対にごめんだ。その後があればいいけれど、そんな涙涙で再会して、すぐお別れだなんて切なすぎる。
何らかの仲間と最後に飲み会?これもごめんこうむる。
だいたい自分のための送別会が苦手である。
自分が主役が苦手で苦手で。
同様の意味で、結婚披露宴も逃げたかった。
ついでにお葬式もしないでほしい。

それなら放っておいてほしい。
なんてことなく授業して、それも最期なら絶対に国語。
そしてなんてことなく掃除機掛けて洗濯して、できたらお日様のもとで乾かして、夕方取り込み、お料理して、がいい。
なんてことない日常がしあわせ。
そうそう気になっていた大物洗いを済ませたい。

そんな誰しもが死に向かって生きている状態で、無計画なのは良くないにしろ、将来の不安に目を向けて、こんなにしあわせがたくさん詰まっている日常生活を台無しにすることなんてない。
今を生きたい。

久しぶりにこの問いを自分に投げかけてみて、ああ、今を生きるって素敵なことだな、と思った。

私は結構古風な日本女性的なところがある。
家を支えて、家を守る、という古来の女性的な性質も持ち合わせていることは寿退職してみてわかった。
意外に本質的にはそういうところがあるのかもしれない。
最期にシーツを洗いたいだなんて!
いやいや別に古風な日本女性でなくても、単身男性でもシーツくらい洗って干すでしょ!?
単純にあれこれいろんなことが好きなだけ。(笑)