数年前に女優さんが、『わりなき恋』という本を出されて、よくわかっていらっしゃるなあ、ということを思った。さすがは女優さん。古文における「わりなし」というのは、「理なし」と書いて「わりなし」。つまりは理屈を超えている状態。理性が働かない、という意味である。
第一、中古の恋が大好きな貴族たちは、なんでも「前世の契りや深かりけん、」などと言って、なんでも理屈に合わない理性のきかない状態を、是正からの因縁というところに落とそうという、なんとも理屈など通す気がないのではないかと思わされる。
わりなき状態になるのが恋というものなのだろう。
古文をやっていると、ああ、理屈やなあ・・・、という部分と、なんでそうなるの?という部分がある。
日本人は、どうしようもなさがどうも好きなようである。
それを矛盾だとかなんだとか考えず受け入れて、その状態をどうしようもないものとし、そしてその状態を甘んじて受け入れる。
それを正しいとかそうでないとかも言わない。
一番驚いたのは、『源氏物語』の中で、光源氏が父帝の寵妃である藤壺の女御に我が子を産ませ、それを見て感激するが、式部も、やっぱり、前世からの契りが深かったのであろうか?と言うのである。
それでいいの?
こいつそんなもんで許していいの?
と思わされる。ナルシスト源氏!
とはいうものの、やはり「わりなし」であるものを理解できてこそ大人だということになるのだろう。
そういう点で言うと、私はまだまだ子どもなのかもしれないな、と思えてきたりする。