ミスター・ロンリー

年末にカフェコンサートに行った折、演奏されていた馴染みの曲が、「ミスター・ロンリー」という曲だと知ってから、私の頭の中を流れ続けている。
若い世代は知らない曲。
私は、「ジェット・ストリーム」というラジオ番組のテーマ音楽として知って、そして映画音楽をチェロで演奏したCDの中の音楽として知った。
そのCDは、勝って聞いていた頃の雰囲気まで思い出してしまうほど素敵なCDである。
その中の一曲として聴いていた曲を目の間でチェロとバイオリンとピアノで演奏されると、なお素敵で、
ああ、この曲、「ミスター・ロンリー」って言うんだ・・・。
と思っていたけど、毎日頭の中を流れ、私は思わず口ずさみ、そして、思い切り本気で歌っていることもある。

「ミスター・ロンリー」を、教室に来て、まだ指導が始まっていない時間にYouTubeで聴いていたら、なんとも切ない歌詞だった。

僕は独りぼっちだ。誰も電話を掛ける人もいない。一人でもいたらなあ。
僕は独りぼっちだ。誰からも手紙は来ない。一通も。

などという歌詞が続く。
でも、ほかの人も書いておられたように、不思議と寂しい気持ちにならない歌である。

もしかしたら、この人、普段はとんでもなく人に囲まれている人なのかもしれない。
でも、ふと気づく孤独に、ああ、寂しいなあ、と思ったのかもしれない。

友達からの手紙、という現実的な、即物的なことはあったとしても、孤独な人は、それすら認識しない。
一通も来ていなくても、たくさんきているかのようなきもちになって、また、あの人なら香油関係が広いから・・・、という見え方をしている人もいるだろう。

すべては自分の心が決めるから。
だから、孤独というのは状態を言うのではない。
自分の心を言うのである。

たくさんの人に囲まれていながら孤独な人はたくさんいるし、周りに誰もいなくても孤独でない人もいる。
また、孤独が好きな人もいる。

私は、たくさんの人といるのも好きだけれど、一人の時間も大事である。
というか好きである。

この、「ミスター・ロンリー」が好まれるには理由があるような気がする。