かつて、資格試験の本の中に、くじけそうになった時のために、名言が載せられていた。
フランシス・ベーコンの箴言もあり、吉田松陰の言葉もあり、ケネディもあり、私は結構励まされたものだ。
その中に、たぶんアメリカの格言かな?
レモンがあったら、おいしいレモン水を作ろう!というのがあった。
レモンは酸っぱいことから、決して嬉しくはない経験の比喩。
レモン水は甘いから、素敵なことの比喩。
つまり、辛い経験を良いものに変えよう!というものだった。
私にとってはレモンはどちらかと言えばフレッシュで、素敵なもの。
レモンがあるのとないのでは、お料理の出来がずいぶん違ってくる、というようなものである。
でも、その格言の中では、レモンは酸っぱい、よくないものだった。
私の人生は、酸っぱいものを甘いものにする連続であったような気がする。
先日、卒業生と食事に行った折、お魚屋さんで、お魚を見て、心の底からおいしそう・・・、と言っていた私は、その魚のお店に見覚えがあることを思い出した。
ちょっと苦い思い出とともにあるそのお魚の干物。
胸ふさぐ思い出でもある。
あの夏。
ときはぐるっと巡って、今、そのお魚を見て、酸っぱい想いどころか、おいしそう・・・。
ああ、あのお店の・・・、と心ときめかせているのである。
今度はどこかに贈り物をするときはここから冷蔵で送ってもらおう。
などと考えているのである。
根がのんきなんだろう。
この年まで生きてきたら、ときが解決することも多い、ということもわかってきた。
もちろん解決しないこともあるだろう。
乗り越えきれないことも。
でも、かつてのしんどさや苦労は、笑い飛ばせるようになってなんぼ。
明けない夜はないのだから。