ヴィクトール・フランクル『夜と霧』からの、ある場面での、よくわかる出来事

なんでわかるのか・・・?

愛読書であるヴィクトール・フランクルの『夜と霧』の中で、ああ、わかる!とことさらに思わされる場面がある。
『それでも人生にイエスと言う』の中にも同様の描写があるのだけれど・・・。

1944年、つまりは第二次大戦の前年、もうすぐクリスマスだという頃、ユダヤ人の収容所で、

クリスマスには、連合軍が来て、解放される。

というまことしやかなうわさが広がったらしい。

それから、収容上は幾分活気づいて、そして、クリスマスの日を迎えた。
何事も起こらなかった。

その次の日から、次々と人が、病死していったらしい。
希望と失望とをよく表した話である。

もう一つ。
ある男が3月のある日に解放されると夢で神様からのお告げがあった、とフランクルに話した。
それまで確信に満ちた彼は、元気よく生活していたが、その日の夜からチフスを発症し、次の日に死んでしまったらしい。

それほど、期限のない待つ、ということは人を消耗させることなのだと、どうしてかわかる。

経験はないけれど、ある方が、旦那様との結婚を、付き合っていた方がいらしたのに、どうして、旦那様と?とお訊ねしたら、
その彼を待ちきれなかったの。
とおっしゃったことがあった。

バラク・オバマアメリカ大統領のご夫人であるミシェル・オバマも、結構オバマ大統領のことを待っていらしたらしい。

女性として待つ、ということでなくても、人間は、待つ、ということに、大変なエネルギーを要するのかもしれない、と思う。

かつて大学の後輩と結婚の話になって、男性の気持ちに触れる機会があったけれど、
結婚したら、仕事も守りに入っちゃうじゃないですかー?
と後輩の男子は言っていた。

待たせる側は、待つ側の気持ちに、気づかないのか、それとも気づいていても、待ってほしいのか?
私にはよくわからない。

結婚と生死を一緒にしたわけではない。

けど、待つって大変なことだと思う。

かつて、予備校の同僚に、誰でもくっつけようとする、という意味で、
櫻井は遣り手婆、と表現した人がいたけれど、確かにそういうきらいはあるにせよ、待たせる人は苦手かな。

まだ自分ならいいけど、しっかり理由も言わずに、待たせられて苦しんでいた人を、なぜか見てきた。
と言いつつ、自分の気持ちがわからなくて、困っていた時代は自分にもあった。

じりじりしながら、しあわせな時間を思い描きながら待つ。

その待つ時間は、苦しいのだろうか?
それとも、後になってみれば、素敵な思い出になることもあるのだろうか・・・?

あ、収容所の話からは、かなり不謹慎になってしまうような話になってしまったけれど。

誰を待つ何を吾は待つ〈待つ〉という言葉すっくと自動詞になる。-俵 万智

まだ、古文をそれほど本格的に教えてはいなかった頃、この「待つ」の意味が、全く分からなかった。
待つことは苦手だったし、待たせるのはいつも自分だった。

恋しい人を待つ、しあわせに生きることのできる時間を待つ。

全く違う待つ、なのかもしれないけれど、いつの日か、私は、この「待つ」の意味を実感するようになった。

事理が至る日は来るのだろうか?
待った甲斐があった、と言える日が来るのだろうか?

自分で努力することに掛けては、結構夢をかなえてきた面もある自分だけれど、どうすることもできないことも、ときにあることを、大人になって知ったような気がする。
待てる?

待つことの重要性は、もしかしたら、教育活動を通して、教えてもらったのかもしれない。

それにしても、フランクルを読むまで、これほど待つということを明確に教えられたことはなかった。
どれほどの思いで、先行きの見えない時間を過ごされていたのだろうか?
そして、自分のことを、超楽天主義、と言ってのけているフランクルは、ずっと思い描いていた、何千人もの人の前で、研究発表をする、という夢をどうして叶えることができたのだろうか?

予備校の同僚が言った、
我々は、近代人がこれほど惨いことをしてきたのか、いかにおぞましいかということを忘れてはいけない、と言った。

一方私は、
どんなに凄惨な状況でも人としての尊厳を失わなかった先人が存在したということを誇りに思う、と言った。

いつまでも人は誇り高く生きていけるのだろうか。