世の中に片思い、というのは存在しないと聞いたという話。ーある種の信ぴょう性と。

かつて、ある先生筋(この言葉を書いてみて、この表現が多くて、いったい私には何人の先生がいらっしゃるのだろうか?とふと思ってしまった。)の人に言われた。確か、自分が教師に合っているかどうか?と悩んでいた頃のことのような気がする。
悩みなくできるとも思えないし、なるには大学の勉強だけではなくて、それなりに勉強しなければならなかったから(私は行っていないが、予備校なども存在する。)、ほかの就職活動との兼ね合いもあり、考えるのも当然で、それより先に自分が仮になることができたとしても、それができるものなのかどうか?ということが気になっていたのだった。
大学時代はどちらかというとぽわーんとしたタイプに見られていたし、周りに比較してしっかりしているというイメージも持たれていなかったように思う。外見もかなり影響していると思うけど。
私の、合っているかどうか?論を聞いたある先生が、おっしゃった。

合うかどうかを考えるなんて、ずいぶんえらそうな話ですね・・・。

その意味を当然時間を掛けて考え、当然今なら当たり前のように答えを持っているのだけれど・・・。
先生は、思ったことしか行動できないんですよ。思ったことは行動しなくちゃ。やりたいと思ったんでしょ?
とおしゃった。
世の中に片思い、というのはありえないんです。そりゃ、思うだけで行動しなければ、何にもなりませんよ。ほら、めっちゃくちゃダサい男が、めっちゃくちゃ美人を連れていたりすることあるじゃん?(なんだかこのあたりで、私への嫌みを感じてしまう僻んだ私・・・。というのもその人からは私よりきれいな妹の方が相当ウケが良かったし・・・。)。でも、思って行動したら(まあ、古文にもあるように熱意にほだされて・・・、というところまで行けば、の話だろうけども。)、片思いはありえない・・・。

この哲学的な論考?をどう受け止めるかは別にして、私は、誰かが放った、幾分おかしな話も、とりあえずは行動してみようかな?という程度には素直だった。だって、やってみなければどうなるかわからないし。

その後、私は教師になり、初任教師のありきたりな苦悩のほとんどすべてだろうことは経験したとは言うものの、この仕事しかない、という程度には教師という仕事が大好きになった。今でも、高校のクラスや予備校レベルの人数の前で授業したい気持ちはいつでもある。

今なら言える。
教師でなくとも、新卒で、お給料をいただく仕事で、極端な、今で言うところのブラック仕事(かなりのレベル。)か、法的にどうよ?というものか、あるいは、どうしたって、相当に倫理に外れるというわけではない仕事なら、きっと教師と同じ程度には好きになることができるだろう。また、好きになって見せる。
最初から教師だって楽しいわけではなかった。生徒は言うこと聞いてくれないし、男性の先生からはからかわれるし、よく考えてみればセクハラだったけど、気付かなかった、ということもあったし、今の時代と違って、もっともっと男性が強かったし、まあ、幾分気付きにくい性質だったし、言われたことを信じてしまう傾向があったから、まあ、ある意味素直とも言えるし、ある意味バカだったからできた面もあるけれど、とりあえず、自分の心に響いたものは取り入れた。
事務員の2つ下の女性がルームメイトだったけど、彼女が教えてくれた(2つ下だったけど、高校卒業してすぐに就職していたので、2年先輩だった。)ことがあった。

○○先生(数学科の私の先輩でもあった。)が言ってくれたんだけど・・・。
1年目は、依頼された仕事は全部やりなさい。
2年目からは取捨選択して、やりたい仕事とそうでない仕事をしっかり見極めたらいい。
その学校の卒業生だった彼女は当然私の先輩方は恩師になったから、仕事面でもアドバイスしてもらえる人が多かった。

要するに1年目は一通り、たくさんの仕事をして、仕事を全部覚えてしまいなさい、ということだなあ、と思った。
そして、私にされたわけでもないアドバイスを徹底的に守って、1年目は、できません、とは一切言わなかった。
この辺がアホなのか素直なのかわからないところである。

というわけで、私は時間のない中であれこれ工夫をし、与えられた仕事をとにかくこなすということに衷心した。
教材研究がままならないほど忙しくても、でも、私が全力でこの子たちに教材研究したものをぶつけたとしたら、消化不良を起こすだろう・・・、とも考え、何をする?というのも、直感と分析力を使って、もう必死で考えて選んだ。
それはそののち大学受験をメインに指導する時期になって、ものすごく威力を発揮した。

ということで、仕事に対して私の片思いは成就しないことはまるでなかった。
就いた仕事就いた仕事(家事も含めて。)、得意にならないものはなかった。
ほとんど趣味レベルに楽しんでいる。

ただ、恋愛においては、だいたい自分から人を好きになることがあまりないタイプなので、おそらくはその辺りは、平安時代の女性と同じく、かなり受け身なタイプだったのだと思う。誰か好きになってくれる人がいて、その人が、そういう行動をして、だから恋愛する、というタイプなのだろう。
大学に入ってすぐに高校時代付き合っていた人とは別れた。
大学時代の先輩と別れなかったのは、職場には、既婚者の先輩と、年齢が離れていて、そういう対象になる方がいらっしゃらなかったからだと思う。
結婚式直前になって、1回だけデートしてー、と言ってくれた人(学校ではなく男子寮関係者。)は、いつももう一人の美しい先生の引き立て役にされて、いじられているとしか思わなかった人だったので、
イヤ!
と心を込めて返答させていただいたけど、そういう条件下でなかったら、私などという人間は、若いころ、相当に危ないタイプだったかもしれない。(笑)

ということで、片思いはありません!