中間子の私の気持ち

最初に勤めた職場を退職することになったとき、送別会をする、だとか、結婚祝いをしてくださる、とかいう話になったとき、私は、逃げ出したくなりました。
誰かに何か、自分に対して特別なことをしてもらうことが、どこかでモゾモゾすることだったのです。
そのことを思い出したのにはきっかけがあります。

実家の中で、いえ、嫁いでからもそうですが、どうも私はしてもらう側ではなくて、する側だったことが多くて、誰かに何かをしてもらうことがあまり得意ではないらしいのです。
だからか、どこに行っても、私を頼ってくださる方が多いのです。
でも、よく職場では思いやってくださる方が多くて、後で気づいて、本当にありがたく、そして、しみじみとありがたくなります。

今回もそうでした。
私は、本当に落ち込んでいたのです。
落ち込んでいるというより、塞いでいたのです。
気分がなんとも塞ぎ、どうすることもできないでいました。
指導をしていると、それは勝手知ったる自分の仕事。
だから、気持ちが明るくなります。
役に立っている実感もあります。

でも、こと家族のことになると、ここまですれば大丈夫、ということもないし、限界というものもどう設定すればいいのかわかりません。
他人同士なら、こんなもの・・・、ということは言えても、家族だから境界線も引きづらい。

小さいころを思い出していました。
兄や妹より、何かにさせてもできたらしい私は、兄や妹がするりと要領よく逃げていたことをもまともに受け留めたり、叱られる役割も引き受けていたようです。

先日は、別人か?と思われるくらいに塞いでいた私のことを心配してくださっている方々がいらっしゃったことに、慣れない思いをしていました。
今までだって、心配してくださっていた方もたくさんいらっしゃるのですが、プライベートのことに絡んで、私が誰かを頼る、ということがあまり思い描けなかったのです。
そもそも気付かれにくいタイプです。

初めて予備校勤務をした折、娘の成績が悪かったとき、悩んだところを見せてしまったことがありました。
ある人の言葉に胸ふさがって、職場で、仕事のこととは関りなく、思わず泣いてしまったときに、周りがバタバタと慌てふためいて、気にしてくださることがわかって、正直嬉しくなりました。
それをまた違うところの同僚に話すと、
先生、別に私生活での気持ちのほころびを職場で見せていけない、ということはないですよ・・・。
と言ってくださいました。

今回は、悪いなあ、と思っていました。
自分に余裕がなかったのです。
仕事でではありません。
そうではなくて、仕事が大変なことを、思いやられなかったことに、です、
甘えていると言えば言えます。

家には仕事の面は持ち帰らない。
そして、仕事には家のことは見せないようにしてきました。
若いころから。
話題として出すことはしても、決してその心理的なことを見せたくはなかったのです。

でも、ああ、気付いて、気にしてくださった方もいらしたのだな、と思って、よく考えてみると、私が迷惑かけて申し訳ない、と思っていたことは、本当は思いやっていただいていたことだったのでした。

私が心配される、ということを私は私に許していないようなところがあります。
私は責任を果たすためにいると思い込んでいるような。
ああ、心配してくださっていたのだな、とつくづくしみじみ思っています。