人から受けた恩というものに対して。

つい先日、受験生になるお姉さんの進路指導、入塾相談をしていて、妹さんもお入りになった生徒さんの、妹さんの方が、とんでもなく数学の点数を伸ばされて、「今回、○○さんだけは、良かった・・・!」と学校の先生に褒めていただいたらしい。
ひょんなことで、入塾が決まったのだった。数学が・・・、とお聞きして、なんか、今だ!と勘が働いたのである。
本当に早く入ってよかったね!と思うことがよくあり、それはそれなり、生徒さんは成績を伸ばしている。
最近、意外に数学や物理を伸ばすのは簡単だなあ・・・、と気付くありさま・・・。(笑)

話は変わる。
昨日、音声を聴いていて、実は以前から気づいていたけれど、ああ、やっぱりそうだったんだな、と確認したことがあった。

人の人生。
それぞれに事情があるから、それについて咎める気もないし(そんな権利ないし。人の生き方をどうのこうの言う気はまったくない。)、そのことをこれ以上考えることはやめるし、それよりなにより、その人との人間関係そのものに距離を置くことに決めていた、その根拠を新たにいただいた程度のことなので、別に驚くに値しない。

恩、というものがある。

私は新卒で、働いて、たった三年で退職した。
そのことを、それは本当に申し訳なく思った。
せっかく育ててくださった学園に対して、それも毎日偉大な先輩方の中で(当時、今ほどそのことを自覚して、謙虚に受け止められていたのかどうかはわからない。)。
あの三年間は、本当に宝物だ。
今でも教室での活動の基盤になってる。

それに、お家でピザやコーヒー・ゼリーを作っては私たちに差し入れしてくださる奥様がいらして、まして、私などがダイエットすると、「先生がおいしそうに食べるところが見たいから、早く終わってくれないかなー。」なんて言ってくださっていて、ああ、人が喜ぶことをするのに、ある意味時間もお金も掛けて、それを喜ばれる姿が、私にはとても嬉しくて、その影響よろしく、それを教室でついついやっているような気がする。
なかなか手作りのお菓子まで手が回らないけれど。

人が喜んでいる姿を見て、それがしあわせだと思えることが仏教での一番の徳だそうです・・・、と職員会議で高校の校長先生が教えてくださっていたけれど、品性というものを教えていただいていたなあ、と思う。

だから、先輩のお家にお呼ばれしたときは、奥様方の手料理のフルコースが振る舞われた。
人のためにすること、後輩のために何かをして、何かを伝えようとする感じがよく分かった。

開校して、もうすぐ7年になる。
ここのところ、実は私の心を占めていたことがあった。
生徒さんの成績や、親御さんからいただくお月謝のこと。
思うように指導できていないような気がしていて(それは単純にスキルが上がっただけでもあるのだけれど。)、昔ほど一生懸命に予習などしなくても、できることが多く、新人さんを見ていて羨ましくなるようなことがあった。

要するに中身というより、自分の労力かもしれない。
保護者の方からすれば、私は自分のプライベートをなげうって仕事をしているということらしい・・・。

昨日、親しいお二人の保護者の方とお電話で話していた。

「先生、成績なんて、本人のやる気です。意欲です。先生がどんなに一生懸命指導しても、本人に意欲がなかったら、本人の責任です!先生は成績だけじゃなくて、生き方を教えてくださるじゃないですか!来年もよろしくおねがいします。生き方を教えてやってください。先生、これ以上できないほどやってくださってるじゃないですか!」

「先生、責任を感じすぎですよ。納得して親御さんが通わせているのに、先生授業料以上の指導をしてくださっているのに、いつもそんなことおっしゃって!」

とのことだったのである。

つくづく変わった塾・・・。

私にすれば、昔ほど予習が必要ではなくなって、昔ほどがむしゃらではなくてもできることが多くなって、自分がサボっているような気になってしまっていたのである。
目の前にいてくれるだけで安心して勉強できる・・・、説まである。

で、葛藤がわかったのである。
私は経営者である。
ともすれば教師に傾いてしまう、いや、ともすればどころの話ではなく、教師に傾く。
ある年など、えらく税務署のお世話になることにもなり、周りのオススメもあって、今年から税理士さんについていただいたにもかかわらず、現に今年も、お目付け役の存在も、片隅に行くほど、受験指導にのめっていたのである。

そりゃあさあ、受験が大事。

でも、先生のあまりの叱咤激励のおかげで、ようやく重い腰を上げ、というより、事の重大さを自覚した(だって、どうしたって、この時期受験以上の大事なことがあると実感できず。)。ひととき、根を詰めて勉強したら知恵熱を出すのが常習だったのに、最近ではとんと熱を出さなくなったのに、数字をあまりにも打ち込みすぎたせいか、久しぶりに悪寒が走り、どうやら、数字による知恵熱が久しぶりに出たらしい。一晩、正直、死ぬかと思った。
おかげで次の日は、家族の厳命で、いつもなら食べられないようなフルーツを独り占めして食べることになった。
たぶん神経性だろう・・・。(絶対に認めてはいただけないが。)
お腹も壊して、何も受け付けられなくなった。
もう一度、軽く悪寒が走った夜があったが、その後は免疫が着いたらしく、かなりマシになった。
すぐに免疫力ができるところが私のふてぶてしいところ。
し、し、しかし、一晩徹夜したらできると踏んでいたデータ入力が、毎日、難しくなっていく。
毎日課題が出てきて、これは?これは?になるのである。

ああ、それほど、経営者としての仕事が嫌いやねんな!
いや、数字か・・・?
この数字は何にも私に訴えてこないのである。
目指すは確定申告書類の完成!と先生に励まされた。

指導しているとき、ああ、この子って○○なんだな、とか、この文章は楽しいな、とか、数学だって、ほうー、美しいな、とか思う。

でも、成績以外の数字の入力って、学校現場における、教務の結果や遅刻をチェックするのに似ている。
こちらは、ああ、あの子、この頃体調崩してたな、とか思い出したりもするけど、単純な数字が苦手で、昨日チェックしたら、〇円単位で、ミスしている。
そうして、パソコンの中の私はとんでもなくお金持ちになったり、とんでもなく困っていたりする。
この数字、何よー!
今年はしっかりと仕上げるのが、目標。
それにしても、早く終わって、受験指導に全精力を掛けたいのである。
とはいえ、鬼の櫻井は健在で、受験指導に手を抜くはずもなく・・・。

というわけで、経営者失格のレッテルを自分にばっちり貼っている私は、ここ一年半ほど、変な義務感に駆られて、勉強しに行っていた(していた)。
そしたら、私の仕事に、私の気持ちが、潤いがなくなってきたのである。

なぜか?
その勉強が、事柄だったから。
人ではなくて、事柄になってしまっていたから。

私は、仮にビジネスという側面から見ても、経営は、人だと思ってる。
心の中のものが外に現れるものだと思う。

勉強していた先生は、いつも「ビジネスと人格は別。」とおっしゃる。
勉強しに行って、ご一緒させていただいたときには、懇親会で、今までいただいたことのないようなお料理をいただく経験もした。
けど、いつもどこか気がもめるものを持って帰ってきていた。

いつもビジネス拒否して帰ってきていた。
ハハハ。
随分成長した、と言われた時期を経て、今、私は自分の立ち位置に返ろうとしている。

それは先生も気づいていらした。
本当に展開したいの?と訊いていらしたから。
挙句の果てには、このまま自然体で・・・、と言われた。

ただ、展開はしたい。
もっとたくさんの方に働いていただけないか?と思ってるし、いろんな人の役に立ちたい。
でも、たぶん、方向性が違うのだろうと思う。

その先生が、かつてそうだったんだな、ということを知った。
だから、合わない。

私は、人を大切にしたい。
どんな人にもフラットでありたい。
だから、恩になった人のことは忘れない。
育ててくださった方への感謝は忘れられない。

今回、私は気持ちをこともあろうに保護者の方々から救っていただいた。
見つめる方向が違っていたのだと思う。

でも、先生への恩ももちろん忘れないつもりだけれど、今回の、この早春の昨日、お二人の保護者の方のお言葉に、肩から、スーッと力が抜けた、そんな経験を、私はいつまでも忘れることはないだろうな、と思う。