人の心の境界線とときに親身になるということ。


先生業というのは、ときに上から目線で話さなければならないし、普通の人間関係でなら絶対に言わないようなことも言わなければならなくなる。
家族であっても境界線を越えないように努力するけれど、ときに他人でありながら、言わなければならないときもある。
これ、と決まったものではなくて、その時その時に気づいたことをしなければならない。

たとえば健康に良いから、あるいは悪いから、絶対に止めた方がいい、ということであっても、本人が納得しなければ、ただ禁止されているとしか感じられないだろうし、周りがいくら身体にいいと思ったって、こころの中までは入り込むことはできない。

それと同様、勉強だって、した方がいい決まっているけれど、その子の意思を尊重したいとは言うものの、大人があるべき方向に導いていくことが重要になってくることもある。第一知っているか知っていないかの問題は大きい。
ピアノの演奏家になるのだって、小さいころから弾いていなければ、大人になってその道に進みたくなっても遅い時だってある。
その頃合いが難しいなあ、と思う。

教育も、一身上に起こったことに対するアドバイスも、ご本人がそうしよう、と思えるまで待つというのが理想だとは言うものの、なかなかに難しいことでもある。
決め手はやはり愛情があるかどうかだと思う。
少々厳しいことを言われても、そこに、その人の心の中に愛情があれば伝わることもある。
でも、アドバイスする側の都合が優先するようなら、伝わるものも伝わらないだろう。
それも法則性はなくて、アドバイスされる側がそうしてもらっているという安心感があるときに、一歩進む勇気も出てくるし、前向きに行動しようという気持ちになるものだと思う。

私たちのような仕事をしていると、ご本人や親御さんのお気持ちをお聴きしつつ、よりよい未来へとつながるようにお話しなければならないものだと思う。