今いる場所のしあわせに気づくということ。

ある投稿を読んでいて、あれこれ、こういう状態だったら、○○、というようなものを読んでいると、私は結構健康的なタイプなのかもしれないなあ、と思えてきたりします。

その人その人は、どの側面で見るかによって、語られ方は違うものになってきます。
学生時代などを思い出しても、周りの人から見えていた私と、私が覚えている思い出の中の私とはずいぶんイメージの乖離があって、ときにびっくりすることがあったりします。
学生時代の先輩などは、全く違う私像を話されるので、意外や意外、ということになります。

一番面白いのは、私のことを陽キャだっただろうと想像する生徒が多いことです。
陰キャでした!と主張しても、あれこれ根拠を挙げて、絶対陽キャ!などと言ってくれますが、私はそもそも陽キャと陰キャの違うも明確にはわかっていません。

とりあえず人の見る状況と自分の見る状況とでは違っているのは当たり前です。
学ぶ気があれば、その場所で学べることは吸収しておこうと思う限り、その場はありがたい場となります。
嫌だと思って、そこから逃げ出すことばかり考えていたら、そこは絶対に面白くない場所になります。

少々大変だな、と思うことがあったときには、私は、少し未来から自分を見るようにしています。
たとえば、子育てをしていた頃に、お散歩に連れて行ったり、おやつを作っていたりしたときに、いつかこの時代を懐かしく思い出すときが来るかもしれないから、丁寧に大事にこの時を過ごそう・・・、と思っていたことがありました。
子どもたちを自転車の前と後ろに乗せて、札幌に住んでいることを楽しみました。
この土地を離れるときが来るだろうから、今、ここにいることを精一杯楽しもう・・・、と思ったのです。

今ここにいるしあわせをもっともっと感じていたい、と思っています。