再会した時の顔

何度も別れたり、出会い直したりする人間同士。

別れても、また再会して仲良くできる人もいるけれど、もうお付き合いできない、という人もいる。
何度か再会した時の顔が、その関係性を決める。

もうダメだな、というときには理由がある。
だいたい心情的なものに、こういう表現はしたくないけれど、win-winでないものに、継続できる関係性が生まれようか・・・?
どちらかだけがメリットのある関係性は続かない。

私は偉そうにしたいとは思わないけれど、理由なく偉そうにしている人と一緒に仕事はできないと思うし、また、そういう人とお付き合いしようとも思わない。

どうして連絡が来るのかわからない人がいる。
当然前回お別れした時の私の感じから、何かをつかんでいる、と思われる人である。
誰かのメリットのために私たちは生きているのではない。
自分のことしか考えていない人に、何もする気はない。

不遜であることに気づいていないんじゃないの?と言ってくれた人がいる。
でも、職業人としての自分の気持ちが着いていっていない。

教師というのは、教科指導ができればそれで終わり、というものではない。
きちんと人間的な何かを伝えていくことができなければ・・・。
ただ、悪影響を与えるようではいけない。

そういう意味では、チェリーのスタッフは、結構レベルの高いものを要求される。
かつて、外部から学生さんに来てもらったことがあったが、
先生のところはレベルが高い・・・。
と表現された。
当然働く人にもハードルが高くなる。

アシスタントは、私の気持ちを汲み取れなければならないし、講師は、教科指導で、一定の基準に達している、くらいでは指導できない。
そんな指導ならだれでもできる。
アシスタントというのは、黒子である。
黒子に徹する人が大事である。

仕事の出来不出来よりも、その姿勢が大事かもしれない。

と言いながら、私も学年主任やほかの先生方の秘書めいた立ち位置だったことがある。
自分が入って、ほとんど後輩をもたないまま、退職した。
だから、立ち位置的に、実務面では秘書的な立ち位置が多かった。
教科指導では、結構やらかしてはいたけれど。

まるで、教室に行ったら一国一城の主よろしく、自分のしたい授業をし、実務面では、先輩方のサポートをしていた。
人の仕事の、ここを詰めておいたらいい、ということに気づくのは得意である。
むしろ、なんで今、代表などしているのだろうか?
それは、ひとえに、年齢のせいである。(笑)