子どもの頃の風景ー母の姿 足踏みミシンと共に

小さいころの母は、シンガーの足踏みミシンで、あれこれ縫ってくれていた。
母方の伯母もよく縫物をしていたので、そういううちの人だったのかもしれない。

ピアノの発表会のワンピースも、上手に縫ってくれた。
だからか、私も母親になったら、子どもの服を縫うものだと思い込んでいたのに、嫁入り道具にミシンいらない、と言ってしまって、あとで後悔した。
娘が幼稚園に入る頃、札幌のSEIYUで買ったミシンは、さんざん活躍したというものの、値段の割には結構早く壊れた。
バトンの衣装を縫い続けていたので、それはそれは活躍してくれた。

でも、ミシン屋さんが来て、これくらい出したら、もう少しいいものが来るだろうに・・・、と言われ、いろんなものを縫う私には、業務用ミシンを勧めてくれた。その前のミシンが淵かがりの機能がついていたので、一本縫いしかできないミシンに不安を覚えたが、ロックミシンをつけるから、ボタンホールだけは自分でやったらいい・・・、と言われた。
母に後で報告したら、その道に詳しい母は、それは良い選択だと言って褒めてくれた。

というわけで、ちょっと私の自慢は、業務用ミシンを持っていること。
サーキュラースカートは何枚縫っただろうか?

学校の学習発表会でのバザーに自分の作品を出して、子どもたちに、こっそり、
ママの作品、売れてた?と訊く程度の気持ちはあった。(笑)
これは、とっても人間的な気持ちだと思うのだけれど・・・。

自分の母がしていたことは真似してしまう。
だから妹の離乳食を作っていた姿から、私は離乳食は作るもの、と思い、徹底的に作った。
ホワイトソースを作り置きし、レバーをお肉屋さんで分けてもらい、お魚の身をほぐして、あれこれお料理した。

だから、今でも、布を見に行くと、終わりである。
買いたい記事がたくさんあって、あっと言う間に両手は埋まる。
そこで冷静になって、元に戻す、ということをしてきた。

お魚も一本捌きたくて、思わず・・・、となり、止められてやめる、ということも何度もある。