心配するということ。

かつて、最初に勤めた学校のどこかで、教えてもらったことがある。

心配は、自分思い通りにしたいってことだと。
確か住んでいた寮の寮長先生だったかなあ・・・。

その言葉を聴いて、とても肩の荷が降りた気がした。

かと言って、心配するから、将来について対応もし、頑張りもする。

心配は、心配した時点で行動を起こしたら、それはもう、心配にならない。
だから、行動することが大切である。

自分の思い通りにしよう、という表現は、二通りに取れるだろう。
思うような自分になりたいから、そのために努力する。
でも、その努力をした後の結果はお任せします・・・。
いわゆる人事を尽くして天命を待つ、というような・・・。

でも、こうでなければならない、と結果を気にしてばかりしたら、それは今、自分のすべきことに集中できてはいなくて、将来を見つめていることになる。
その先ひずみの来るような無理もすることになるだろう。
バランスが大事である。

今のお子さんを見つめて、いいところを伸ばしてあげて、これはちょっと心配、というところも、ゆっくりゆっくり教えていってあげる。
今すぐに変わらなくても、少しずつ変わっていく。
人間なんて、少しずつの努力でしか変わらない。
毎日たゆみなく、少しずつの努力をしていけばいい。

先日、友人と話していて思った。
今、行動していれば将来心配することもないし、というより、今、一生懸命なら、先のことを必要以上には考える余裕もないだろうし、必要なことは気づくようになっているんだろうなあ・・・、と。

心配するくらいなら、今の家族との関係がよくなるように努力する。
少し節約する。
少し今より勉強してみる。
何か調べてみる。
家事を少し工夫してみる。
親御さんの努力って、絶対お子さんにいい効果がある。
お子さんを見つめすぎて、それは可愛いからにほかならないのだけれど、その前にご自分ができる努力、例えば、人と仲良くするための努力や、一生懸命家庭のために努力することなど、ご自分の本分を全うする方が私は素敵だと思う。

少しずつできることってたくさんある。
結果を急ぎすぎていいことなんて、何にもないなあ。

ローマは一日にしてならず。

最近、あまりこの言葉を聞かないのは、世の中が急ぎすぎてるせいかな・・・?