愛するということ、愛されるということ。

実は、私は、若いころから、たくさん失恋をしてきた。(笑)

いや、男性にではなくて・・・。

何となく、目の前の人が、自分をシャットアウトしているように思えて、辛くなることが多かった。
おそらくは、真ん中っこ。
母が、私の気持ちを聞く余裕がなかったからではないか?と思う。

先日から、この症状がまた出始めている。

今頃、おかしな話。
なんだか話が嚙み合わない。
頭の中では、たくさん私を頼りにしてくれていたり、また、助けてくださる方々もいらっしゃる。
周りに人もたくさんいる。

ときに、母と話して、突然シャッターが下りたように、話が通じなくなる。
私が○○な状態だから、と話しても、母にとっては、私には、弱いところなどないかのようである。

同じ質問を繰り返す。
○○って聞かれたら、なんて答えよう・・・?

私は、その相手と話せない。話してはいけないことになっている。
それなのに、何度も、もし○○って聞かれたらどうしよう?と聞くのである。

その人が私に言った言葉を伝えても、通じない。
その通じなさが私にはわからない。

などと考えてみて、あっちこっちで起こる出来事って、この、通じなさからくることが多いと気づく。
生徒から相談されてみて、まず、私に話してみても、信じてくれないのではないか?という世間一般論で、そこから、つまりは常識から考えて、話すのを躊躇されたことがあった。

だいたい、世の中の不思議なことは、信じられないようなことから起こる。
信じられる立場の人だから、だから、自分の言ってることは信じてもらえない、とか、こんなことが世の中にあるわけないから、私の感じ方が可笑しいのか?など。

まずはそれを話して認めてもらうことから始まる。

人は都合の悪いことには耳を傾けようとしないことがある。
それは、本当に辛いからかもしれないし、聞いてしまえば自分が辛いからかもしれない。
でも、大人が、きちんと若い世代の話、子どもの話をしっかり聞くことから、いろんな問題の糸口が見えてきて、解決へと導かれることがある。

いつ頃からだろうか・・・?
あまり世の中で起こることに、一つ一つ驚かなくなった。
いや、驚きはする。でも、かつてほど引きずらなくなった。
あまりにいろんなことがある。
だから、驚くより、対処する方向に、自分が動くようになった。

そして、愛してほしかったら、愛することだと、明言できるようになったのは、そう15年位前からだろうか・・・?
どうしてそう気づいたのか?
愛してもらえるから愛するのではなくて、自分に愛する力があるから愛されるのだ、と気付いていた。

生徒に、愛してほしかったら、愛することです。と言っていたなあ。