愛するペンギン。

ペンギンが好きである。
あの、ペタンペタンと不器用そうに一生懸命に歩いていそうな様が好きなのか、それとも、どこか、何か共感するものがあるのか、わからない。
ただ、特別視するようになったのには訳がある。

初めて古城公園の動物園を訪れたとき、それは真夏であった。
フンボルトペンギンたちが、富山の、ときに最高気温を観測するような暑さの中で、2羽が一緒に立って、いかにも故郷を恋しそうに(彼らはもしかしたら故郷では生まれていないかもしれないけど。)片方の方を落として、暑そうに、ダルそうにしていたのである。
市民会館では、吹奏楽コンクールが行われていた。

しばらく、あの姿が忘れられなくて、自分が疲れたときには、ぼうっと立って、片方の肩を下げて、
「私、古城公園のペンギ-ン!」と疲れた、とサインを出していた。いやいや、サインを出したところで、それについての配慮など求められる立場でないことは重々承知であったが。

それからしばらくして、私は、思いついたのである。
あの日なぜ、ペンギンに、
「太陽のもとで。陽にさらされるより、お水の中で泳いでいた方が、まだ、涼しいんじゃない?」
と提案してあげればよかったのだということに・・・。

数年後、秋に行ったときには気持ちよさそうに泳いでいたので問題はなかったが、ある暑い夏の日、再度訪れてみたら、以前と同様、また、日差しの下で、肩を下げて辛そうだったので、思わず、
「ねえ、あなた、たぶんお水の中に入った方が涼しいと思うんだけど・・・。」と声に出していってしまった。

そしたら、なんと!
そのうちの一羽が、ててて、と歩いて、水の中にドボン!と飛び込み、まるで私に向けてのように、片方の羽を上げて、パタパタパタパタ、また、反対の羽を上げて、パタパタパタパタ、と演技を初めて、私の言葉がわかったのだというような行動を取ってくれた!

私は、動物行動学者のローレンツの実験などを思い出した。
なんと、ローレンツ博士は、雌の鳥に求愛までされたこともあるそうで、私など、私のために演技されるくらい、まだましなくらいである。

しばらくして、そのペンギンは、まるで、もういいでしょ!と言わんばかりの様子で、また陸?に上がり、ペタペタペタと元の場所に戻って、またさっきと同様に、片一方の肩を落として、立っていたのである。
まるで、僕らにも僕らの事情があって、こうしているんですよ!お分かりになりましたか?
と言ってるみたいに・・・。

あっけにとられる私の横で、もちろんエッ!?とびっくりする人がいて、呆れられた・・・。
そういう人なんですね!と思われていたらしかった。

というわけで、いろんな日本語の文章にも英語の文章にもペンギンの話は出てくるけれども、とりあえず、ペンギンが大好きなのは変わりない。