支える喜びー支え抜くしあわせ

何らかのことに対して、自分が主人公になるときと、支える側になるときがあるけれど、私の場合、教師をしていると、それは化学で言うところの触媒よろしく、私たち教師がいることで、やる気になり、勉強が中身のあるものとなるよう、最大限生徒さんの力を引き出し、親御さんのお気持ちを調えなければならない。

私のも、かつて若い時代の企業戦士の夫を支え抜いた時代があったように、その経験から縁の下の力持ちという役割は大事だと思う。
弱気になったときに叱咤激励し、そっと見守り、やる気になるように、生活を調える。

それはおいしいお料理であったり、部屋を調えることであったり、はおいしいお酒を買ってきたり、私は単身赴任先から帰ってくる夫のためにお花を買って来て、飾ったりしていた。
普段いないからこそ、日々緊張し、帰ってくる金曜日の夜は、食事も含めていつもより心を込めた。
自分は夫の仕事をするわけではないから、せめても支えられる部分は支えた。
同じ職場出身ではなかったから、目に見た経験があるわけではないから、想像するしかなかったけれど、自分の想像力をたくましくさせて、あれこれ用意をした。
そういえば、一緒に出掛けたイタリアンレストランで食べたデザートが気に入った夫のためにその時出されたデザートを再現しようとしていたら、雑誌の付録にそのまま作り方が載っていて、さっそく試したこともあった。
とにかく家に帰ればおいしいものが待っている、という状態にしていた。
杏露酒を用意して、子どもたちが寝静まったあと、二人でダウンライトの下で外を見ながら飲んでいたものだった。
若かったけど・・・。(笑)

その多くを、今は教室で実践しているような気がしている。
最近では、下で勉強してもいいですか?
と言って、生徒が2階の自習室から降りてきて、ほかの指導をしている私の横に小さなデスクを出して、横に座って勉強している。
よく、私のことをそこにいてくれるだけで落ち着く・・・、と生徒たちが言っては勉強してきたものだった。

まるで夫が、お前は人を落ち着かせる能力があるから。
お前がおるだけで落ち着くから。
と言って、近場の転勤先からは、仕事が終わったら、サッサと家に帰って来ていたのを思い出す。
子どもたちが小さかったこともあって、スポーツ少年団絡みでの活動が土日にもあったから。
金曜日の飲み会にも行かずに、車を走らせて帰って来ていた。

我が家の子どもたちは、私が調理しているキッチンのカウンター越しのダイニングテーブルで勉強していたけれど、まるで教室の1階は我が家のダイニングテーブルのようである。
狭かろうが、ほかの指導がされていようが、受験への不安を私の横で何とか落ち着かせようと私のそばで勉強している。

落ち着かせる、ということが一番大事である。
こころの中がバタバタしていては勉強していてもしっかりと自分の中に入ってはいかない。
だから、私は、この受験期を支え切る。
それぞれに素晴らしい人生を歩んでいけるよう、その礎になる時代を生き抜くことができるようにと、次の時代へ送り出すために支え抜く。