日常を越えて・・・。ー近くを歩いていて、どこかわからないというようにそこに置いて行かれたらどうなるのだろうか?と思ったこと。

高岡の古い町並みには、まだ蔵などが残っているところもあり、結構細い道を散歩していると、ああ、一本間違って入ったら、私はそこがどこだかわからないかもしれないなあ、と思った。
異国で、ポツンとどこかに置いておかれたら、私は迷子になるのだろうか?
安全だと確認されることがあるということを条件にしなければ、それは到底許されないことなのだろうけれど、私は、そこがどこだかわからない場所に置いておかれて、それをわかる場所まで歩いてみたい、という衝動にかられた。
車で通りを走っていたときのことである。
異国で、と言っているけれど、実は、今いる高岡のどこかで、小路が入り組んでいて、どことも言わずにそんな場所にポツンとおいて行かれたら、そこは高岡だとも気付かずに、私は歩いていくのだろうか?と考えたのである。

全然言葉がわからない場所で数か月暮らす楽しさをあなたは知らないでしょ?
と言って、妊娠がわかる前に決まったことだからと言って、生まれたばかりの赤ちゃんを置いて、まだ学生だった旦那さんに預けて、留学されたお母さんがおられた。同じ年の人だった。
私は生まれたての赤ん坊だった我が娘の生後○か月、というときを共に過ごさないなんて、もったいな過ぎる・・・、と思ったし、それを表現したら、そのお姑さんは、お嫁さんの行動に批判的だったにもかかわらず、
あなたもそういうタイプじゃない・・・。
と返された。
でも、私はしないじゃないですか?
と答えた。
別にそちらのお嫁さんを批判したのではなくて、私は単純に、生まれたての娘と一緒にいる方が外国に留学するより楽しかったり嬉しかったし、周りの意見云々の前に、それが自分の本心だったし、国文学出身だった私が、わざわざ外国で勉強する必要性も機会もなかったから、同じタイプにされてもされようがないと思う。
別に母親神話に偏ったとかいうわけではなくて、私は自分の本心を伝えただけだった。

でも、そのお嫁さんの気持ちもわかる。
どこか全然知らない街に行って、全く知っている人もいなくて、何なら言葉もわからないところで、自分一人の力で生活してみたいという気持ちもわかる。実行しないにしても。
それを、ふと、高岡の細い小路のあるところを走っていて、この辺で降ろされて、どこか知らされなかったら、知らない場所だと思って歩いているのだろうか?と思ったのである。
正直、自分の住んでいる場所を一本違う道に入ったらどこかわからない、という経験をしたことがあり、不思議な思いになったことがある。

育った茨木市で、高校に進学するときに、近くに住んでいるのに、これからは数学の、確率で使う樹形図のように、みんなの人生は全く違う方向に進んでいくんだなあ・・・、と幼い頭で思ったものだった。
思えば、人生など、隣に座っていても、全く違った人生を歩んでいるというのはよくあることで、羨ましがろうと、羨ましがられようと、その人生は同じ場にいても、その本人だけのものである。親子であったとしても、視界に入るものも違うし、仮に同じ職業に就いたとしても、そして同じ場所で同じ仕事をしていたとしても、全く違う人生を歩んでいることになる。

ならば翻って、しあわせに生きなければ損である。
誰の代わりにもなれず、誰かに代わりに生きてもらうこともできない。
自分の役割を誰かが果たしてくれることなどない。
せっかく生きるのなら、楽しく生きなくちゃ。
未来を心配するのなら、今を楽しく。過去を悔やむのなら、今を楽しく、素敵な将来につなげるようにと生きた方がましである。

全然知らないところで、白紙の気持ちで生きていくように、毎日を初めての日として、新たなものとして生きていけばいいのかもしれない。
そんなことをふと思った。