母とのランチ

今日は、母の付き添いでお出かけの日。
その用事はほんのちょっとの時間で済むものだったので、私はお出かけモードいっぱいだったを済ますというよりも、そちらの方を楽しみにしていた。

ちょっとメイクを明るめにして、ふと玄関を出るときに思いついた。
最近ダイエットしている。
あの、数年前に買ったけど、脚が太くて履くことができなかったショートブーツが履けるようになっているのではないか・・・?
下駄箱からブーツを出して履いてみると、軽く履くことができた。
やっぱり痩せているじゃない・・・?ふふふ。
こういう長期戦で取り組むことをちょっとずつ進めていくことが私は好きである。

久しぶりに外でコーヒーを飲んだ。
一口飲んで、ああ、おいしい・・・、と思った。
誰かに作ってもらうサンドイッチ。
自分で作るものも大好きだけど、こういうものを外でいただくと、フレッシュな気分になる。
いつも家と教室を行ったり来たりするのが基本的な行動パターンなので、ちょっと気分を変えて、違う場所に行くのもいい。
いつもの自分を幾分客観的に見ることができる。

私は、マスタード入りのバターを塗ったパンにはさんだサンドイッチが大好きである。
小さいころのサンドイッチを思い出す。
タマゴサンドも、ゆで卵を潰してマヨネーズで和えたのを挟むのも好きだけれど、卵焼きを挟んだものも好きだということに最近気づいた。
今日は、ゆで卵の方だったけど。

昨日、焼肉をして、焼野菜にも、お肉にも焼き方があって、一番おいしく食べる焼き方があるし、知らず知らずのうちに、いつの間にかそれをこそ求めてお料理してきたのだということが分かった。
日々の調理の中で、知らず知らず、その素材のおいしさを最大限に引き出して、そして家族に喜んでほしい、という思いの積み重ねは、ずっと私の中で、日々のお料理に残っていて、まだまだ進化して行っているのだと思う。

ある先生のお話が心に残っている。
主婦の生活は、毎日、最近夫が仕事で疲れているから、お味噌を多めに、あるいは、ここ、というところで味付けを決める、など、本当に奥行き深いものだ。
仕事から学ぶことの方が刺激的で、かつ成長が見やすくて、わかりやすいような気がするけれど、家庭生活から得たものも、そうそう見えやすくはないけれど、それは自分の中に確実に残っていくものだと思う。

収納一つにしても、お料理にしても、掃除の仕方にしても。
ふと、昨日焼き方ひとつを思って、ああ、私の中に、いろいろ人を思ってしてきたことにはあれこれ蓄積になって残っているのだなあ、と思った。
教師という仕事、指導力などの面で自分の中に蓄積があるだろうことはどこかでわかっていたけれど、毎日、まだまだできていない、と思ってばかりのことに対して、そういうことを実感することはなかなかない。
そんなふとした気づきをさせてもらえた瞬間を愛おしくありがたく思っている。