母との楽しい時間

母が来て、ついつい仕事オンリーになってしまいがちな日々に、日常生活のあれこれが、ちょうどよい色どりになっている。
先日は高齢者用にインフルエンザの案内が来て、母の予約を入れたら、私も一緒に接種してもらえて、ラッキー!となった。
タイミングを逃すと、接種を受けるのも、時間をわざわざ作らなくてはいけなくなるので、一苦労である。

今日も、母の用事で出掛けた。
そのついでに、コメダ珈琲でお食事してきた。
生徒の一人が、コメダのビーフシチュー、おいしいですよ!と教えてくれていたので、ああ、それだ!と思って出掛けた。
以前から、今日は、母の冬物を買いに行く、と決めてもいたので、用事を片付けた後に、お食事をしなくてはいけなかったので、ちょうどよかった。
今日は私がご馳走しようと決めていた。
ビーフシチューにシンプルなバケットが添えられていた。
ビーフシチューは、家で作るものではない。
なぜなら、うまく行ったためしがないからである。
本格的なものを試したことがないから、というのもあるけれど。
おいしいね・・・、といただきながら、今日のあれこれを話していた。

午後から予備校部が始まるので、そして、お出かけの途中で、小学部のお母さまから、スポ少の関係で、30分早めにお願いできますか?というご連絡があったので、予備校部の開始時間は30分繰り上げられ、その分お買い物の時間も30分少なくなったのではあるが、母がいてくれなかったら、私のお買い物など、ネットで終わり、およそ外出にはつながらなかっただろうことを思うと、こんな楽しい時間はないな、とまたまたポジティブに考えてしまう。
だいたい私は、世の中で起きることはそもそもそうそう意味を持たないけど、そこから、自分がどう考え、どう行動するか?ということで、意味が変わってくると思っている。
母のお買い物に付き合うことになっていて、母には私の冬物を買うことを勧められていたけれど、先日、母に唆されて、秋冬物を買ったばかりだったので、試着はするけれど、やーめた!となり、もともと倹約気味のある私は、素敵なルームシューズも、これは必要ないとも言えなかったけれど、やーめた!にした。
その分、哲学書を買うつもり。

そういえば、母のための待ち時間に、フランクルの新しい本を読んでいた。
母を横に置いて、ときに、「退屈?」などと訊ねはするが、およそ本を読むことを止めそうにはない勢いで、結構読めた。
最近になく、内容も頭、というより、心に入り込んできた。

そんなに長い時間ではなかったけれど、楽しい時間だった。
盛りだくさん。

本を読んで、お食事をして、冬物を買い込んで。試着も楽しんで。
その間に、いろんな人とおしゃべりもした。
たまたま北海道のお菓子、三方六があったので、北海道時代を思い出して、懐かしく思わず買ってしまった。
ちょうどルピシアのお茶があるので、帰ったら三方六と一緒にお茶にしよう!

などと、高齢になった母といつまでこんな時間を過ごすことができるのかな?と思いながら、どこに行ってもお元気、と言われるし、占いでも長生き、と言われることを頼りに、できるだけたくさんの時間を楽しみたいなあ、と思っている。

両父とは、そうそうそういう楽しい時間をたくさんもてた・・・、というわけではなかった。
でも、そう多くはない時間に思い出がいろいろある。
むしろ、こちらのお姑さんに心を砕いてきたことの方が多いし、若くして、遠方に嫁いできてしまったので、心労も掛けたし、せめても今、できるだけ楽しい時間を過ごしたいな、と思っている。

自分の母の方が恋しいからこそ、お姑さんにの方が、お土産一つにしろ、仮に何百円にしても、高価なものを送っても来た。
そうして、家族というのはけなげな努力の積み重ねであると思う。
そうして、その一瞬その一瞬、実家の両親にの方をおろそかにしたわけでもないのだけれど、それでも粗末にしていたようで、できることはしておきたいな、と思っているのである。