母娘逆転!

おかしなことに、昨日私はカウンセリングを受けました。
初めて受けたことになるのかな?正式には・・・。

たぶん、これが他人事ならば、私は、お聞きしてすぐに、ああ、○○だろうなあ・・・、と気づかせていただけるのだろうと思うのですが・・・。
何せ対象とは話すし、混乱することがあり、第三者を入れなければ、解決しないなあ・・・、と感じたわけです。

電話をして、まず、そこは同業者、「先生、料金はおいくらですか・・・?」とお聞きする。
30分5,000円である。実はうちの倍の料金。
でも、カウンセリングの効用を知っている私は、今までも、「先生のところの内容にしては、安すぎませんか?」と言われていたので、別に驚きもせず、では、と30分、お話を聴いてもらった。

今まで、何度自分をクライアントにして解決法をお薦めしてきたことだろうか・・・。

経緯をさらさらとお話した。

お母さま、弁の立つですか?と訊ねられた。
何度か人に指摘されていることである。
そうそう、弁が立つ。国語の教師の私もたじたじ。論理的も何も理屈では勝てない・・・。

私が何を言っても言い返す言葉を知っている。そういう人もう一人いて、もう、この方とは絶対に会話をしないように気をつけている。
まだ論理的に話そうというのなら相手もするが、理屈と膏薬はどこにでもくっつく理論で、泣くし、同情を買って、罪悪感持たせる手法は昔から巧妙なので、こういう人とは離れるに限る・・・。
でも、母となれば情もある・・・・。

私、私が自分の母だったら、よかったなあって思うんです・・・。
この言葉に先生ははっとされたようだった。
ああ、逆転しているのね・・・。

母の大変なことはあれこれ愚痴レベルから、深刻レベルからいろいろ聞いてきた。ついついこちらが罪悪感を持たされるような感じで・・・。悪かったなあ、と思わせられる雰囲気がある。

お母さん、自立してますよ。だから、大丈夫。
あなたはあなたの人生を楽しんでいいんですよ。

たしかにたしかに、私は、子どもたちに何かを求めてはこなかった。
自分の人生を思い切り生きてほしかった。
できることなら、私たちの職業や適性を越えて、自分たちの持っているものを最大限に活かしてほしいと願ってきた。

本人たちがどう思っているかは聞いてみなければわからないし、聴いてみたって本当のことを言うかどうかはわからないだろうけれど、親としての努力としては、私の場合、自分の人生を思い切り生きてほしかった。それしかない。

母は、時折、いまだ、自分の人生や生活と私たちが、というか特に私とはしっかり境界線がなかったように思う。
思い切りくっついていたり、時には、気持ちを無視してもいい、というくらいに、気持ちを言ってもスルー。
この人、自分中心やねんな、と思ったこともあった。自分の想いしかないのかなあ、と。
だから、話をしても空転する。
私は私の気持ちを話そうと一生懸命になって、疲労困憊するのである。
しばらく休もう。

そうして、好きな仕事だけしよう・・・。
ちょっとやわやわめに・・・。