目的と手段と・・・。

なんだか仰々しいタイトルになってしまいましたが・・・。
世の中には気の合う人ばかりいるわけではないと思います。

私は、本当に子どもだったな、と今なら呆れるのですが、昔は誰とでも仲良くしなければならないのに、それが無理な自分と闘っていました。
それを思い詰めていたときに、ある人がふと気づいたように、

あなたは、10人いたら3人は誰でも合わない人がいるのに、その3人の人のことをあれこれ考えているのと違う?

とおっしゃったのです。
結構厳しいお言葉に聞こえました。
それによくよく分析してみると、10人中3人なんてことはいつの時代もなくて、せいぜい10人の中に1人かたくさんいても2人くらい苦手な人がいる程度だったのです。
そして、その意味を、本当に理解したかもしれないな、と思えたのは、最近なのです。

私は、それまで関係のない人に八つ当たりするとか、誰かに嫉妬するとか言うことが本当にあるのかどうかわからなかったのです。
それに、誰か自分の周りの人が不機嫌な場合、それは私に向けられている不機嫌だから、私のせい?と考えるところがあり、私は私でそのことに一生懸命取り組んでいたのです。

正直、最近です。
人間がその時の機嫌で周りの人に対するのだということを知ったのは。

それが証拠に、大学時代、部活の友人が、
あの日先輩の言うことに腹が立って・・・。それにあの日私、機嫌悪かったから、余計に腹が立って・・・。
と言う言葉を聞いて、私は、そのあなたの機嫌は、先輩には関係ないから、わがままな子だなあ・・・、と思っていたのです。

最近、ある年配の方が、私のせいではなさそうなのに、幾分不機嫌そうでした。
そのときに、ああ、この人何かあったんだな、と思い着いたのでした。

思えばどちらの母も、私に不機嫌であることをあまり許さない人です。
今、ふくれてた・・・、と言われたことがありますが、それはそれを言ったご本人が理由のことでした。
母も、何を怒っているのかわからない、とは言っていましたが、それも母が原因でした。

私は、基本的に自分の機嫌は自分で取るものだと思っています。
だから、取り切れなくなると、非常に戸惑います。

でも、気付いてなくても不機嫌だったり元気がなかったりすることに気付かれることもあるでしょう。
激務に就いていながらそんな素振りを少しも見せない人もいらっしゃいますから、それはやはりそれぞれの修練の違いというものでしょう。

一番嫌なのは、自分が自分より立ち位置の上の人にされてきたことを、自分より若い世代に要求し、その立ち位置になったから、なんでも言っていい、と思ってしまう姿勢です。

かつて、大学の先輩が、自分が1、2回生の頃、自分が3回生(部の中心になる。)になったら、後輩をこき使ってやろう、と思っていた、とおっしゃるのをお聞きしたことがありました。
正直、その言葉を本当のものだと思っていませんでした。普段の様子と全然違う発言だったからです。
でも、その後、その先輩はそういう考えの人であったのだとつくづく知ることになりました。

自分がいじめられてきたから、それも、それは自分に起因することであるかもしれないのに、それをそのまま、できているかもしれない後輩に自分が言われてきたことをそのまま言う。仮にしっかりできていたとしても、自分が言われてきたことだから、こじつけてでも言う。
そういう姿勢に進歩も成長もないと思います。

仮に家と言うものを中心に置いたとしたら、家族の根本的な命題は、家族が仲良くすること。そして、できるならそのうちをより繁栄させることができたらいい。
その中心を忘れて、私が、とか、メンツがとか言い出したら、誰も何もできない。

よく、○○のせいで、という言葉を聞きますが、その実、その○○が悪いのではなくて、状況を悪くしているのは、その実その人だったりします。
うまく行かないような状況を作っておいて、それを誰かのせいにする。

年齢を重ねてきたので、いろいろ経験することも多くなりました。
すぐにはわからなかった人情も、人間というのはこういうことをするものだということも理解してきました。

最近、ある作家にハマっています。
最近の作品を読んで、ああ、だからこの人に惹かれるのだなあ、と思ったのでした。
できるだけ周りの人の機嫌を悪くすることはない。自分の信念を前面に出す必要などない。
それはズルい生き方ではなくて、それぞれに自由があることを認めているからの言葉です。
どこかに正しいものがあるのではなくて、それぞれに正しさというものがあり、それを実行していくためにいろいろやってみる。
そのときには仲良くない人とでもまあまあうまくやっていくということも含まれています。
ある意味適当に。心の底から仲良くするのでなくても、まあまあ。
それが不可能なら、離れるのも一法。
でも、あまり思い詰めることなく、さらっと受け流すのもいいな、と思うのです。