越中富山の誇りー国司であった大伴家持

私たちは、あまりにサラッと意識しているようだけれど、越中富山で家持の歌作りのこころが開花したことを我らは誇りにするべきだと思う。
詩吟などでも、年配のご婦人たちは家持の歌を吟じられたりする。

もののふの八十をとめらが汲みまがふ寺井の上のかたかごの花

これは高岡乙女の美しさを描いた歌である。
もののふというのは、八十、つまりたくさんという意味を導き出す枕詞。
もののふが、たくさんを言う言葉を導き出す枕詞となるのは、文武百官、宮中には文官、武官が数えられないくらいいたから、そこからもののふが武官という意味で、たくさんを導き出すようになったのだということである。
汲みまがふ、というのは入り乱れて汲んでいる、ということ。
寺井は寺の井戸。
上、というのは漢文でよく使われる、ほとりという意味。
つまりは、たくさんの美しい乙女たちが、キャッキャキャッキャと可愛い声を出しながら、楽しそうに、寺の井戸の水をみんなで入り乱れて汲んでいたのであろう。
効いているのは、その井戸のほとりに咲いている、堅香子の花。可憐なカタクリの花。
つまりは、高岡乙女を、堅香子の花のように可憐であると感じていたのだろう。

このような美しい歌がいくつかある。

家持も転勤族。
部下にも単身赴任中に、地元の若い娘と懇意になるものがいたらしい。
それを戒める文書も残されている。

今も昔も、人間は人間なのだなあ・・・、と思わされる。

国語の教師として、和歌だけは、絶対に日本人の心からなくしてはいけない文化であると思い、しっかりお伝えしていきたいと思っている。