高齢者への態度、成長過程の子どもたち

昔、自分の子育て時代に、どうしても公共交通機関を使わなければならないことがあった。
あるいはお食事しなければならないことも。
こちらは、別に行かなくてもいい、と言われたらそれまでだけれど。

自分が経験したことについては、どれほど周りに気を遣うか?ということがわかるので、私はできるだけお母さんの気持ちに寄り添ってしまう。
確か高岡~金沢間を各駅停車の電車で出掛けたときだったと思う。
冬のこと。暖房が効いた、ほぼ満員電車の中にまだ赤ちゃんと言ってもいいぐずる幼子を抱っこしたお母さんの横にお兄ちゃんが不安そうに座っていた。目が合うとお母さんは、すみません、と頭を下げられた。
私もぐずる娘を連れて、雷鳥に乗って、疲れたサラリーマン風の男性に嫌な顔をされたことがあった。
申し訳なかった。
でも、どうしようもないというのも事実だった。
そういうとき、周りが優しくないと、母親はもっと焦って、事態はより大変になって行く。

私は、バッグからカエルの小銭入れを取り出して、その小さい男の子を笑わせようとした。
そしたら、お兄ちゃんがまずホッとしたような顔になった。
男の子はどんなに小さくても、お母さんの味方である。
お母さんの緊張感や焦りは小さな子どもの心に鏡のように映る。
そのうち、お母さんの顔が明るくなると共に弟くんの顔も明るくなった。
私の隣に立っていた若い男の人も、なんだか明るい表情で、理解ある様子を示してくれた。

みんなで小さい子のことを見守る雰囲気があるだけでもお母さんは助かる。
女性なら大概の人が経験するし、男性でも、大事な奥さんが子育て時代、多かれ少なかれ通ってきた道である。
みんなが温かく見守っていくべきだと思う。

一方、最近、母に付き添うことが多くなり、私はあちこちでピキッとなり、もう少しであれこれ言ってしまいそうになる自分を抑え、なんとか笑顔で対応するように、また、落ち着いて話すように気をつけている。
たいてい、ほかの高齢者に対するスタッフの態度にピキッと来ている。
私が着いていて、母に何か失礼なことを言ったら、私はすぐさま顔に出すだろう。
ほかの高齢者が、ぞんざいな扱いを受けているときに、私は、もう少しで、何か言ってしまいそうになる自分と闘っている。
いずれ私たちもそうなって歩いていく道である。
身体能力の低下は加齢とともに仕方がない。
家族同士、近くの人同士、あるいは世話になる場所で、サポートするのは自然なことである。
高齢者だから○○でいい、という態度はすごく気になる。
今、高齢者に対して自分がした行いは、いずれ自分がその時になったら、逆の立場として、きっと嫌というほど経験することになるだろう。
同じことをしていたら、その時になって自分がされた扱いに対して、何も言えなくなるだろう。

まるでお母さんの前で仁王立ちしている怖い娘のようね、と言って笑っているが、ときに自分の中の猛獣のような正義感?が発動するのはどうしようもない。
子どもたちなら、社会にはいろんな人がいるからね・・・、と話せば、それからの生き方について考えるきっかけにもなるだろうし、大人がどう対処するかということを見て、成長していきもするだろう。
でも、高齢者は、相手の態度のよっては何も言えなくなってしまう。