Heike TönnemannによるPixabayからの画像
回覧板が回って来て、結構親しくしていただいていた方の死を知りました。
開業当初からお世話になった方でした。
実はずっと憧れていたのです。
教室のある場所は、以前勤務先の学校まで、荷物を持って歩いていたその途中にあります。
中川というところは文教地区で、息子の幼稚園の「中川園町」という地名がとっても好きでした。
朝、マンションの前の息子を迎えに来てくれる幼稚園バスの停留所で息子に「行ってらっしゃーい!」と手を振って見送ったその後を追いかけるように、徒歩で歩いて行ったのです。
その当時は、自分が塾の先生になるということも、ましてや予備校の先生をするとか、大学で教えたり専門学校で教えるなどということも想像していませんでしたが、もっと言えば開業することになろうとは思ってもみなかったのです。
ただただ、小さい子のお母さんをしていました。
順番に床屋さんがあって、本屋さんがあって、たこ焼き屋さんがあって、ソフトクリームで有名なお店があって、画材屋さんがあって、文房具屋さんがありました。
どのお店にもちょっとした憧れがあったのでした。
ちょうど床屋さんの前くらいで、加藤武さんという俳優さんが歩いていらっしゃるところを発見し、あちらから、
こんにちは・・・。
とご挨拶してくださいました。
今の教室を開くことになったのは、予備校時代の同僚の言葉からでした。
それも、その家を見て、帰りにある事務所の用品を売っておられるお店が開いていたら、教室を開くことにしよう・・・、というくらいの思いでした。
ひょんなことで開いた教室を、周りの方々が温かく受け入れてくださって、本当に嬉しかったのです。
お隣はピアノ教室です。
時間があれば習いに行きたいくらいでした。
当初からお世話になった方がお亡くなりになりました。
新参者の私に親しくしてくださって、教室のあれこれも便宜を図ってくださったり応援してくださったりもしていたのでした。
お孫さんがたくさんいらっしゃるみたいだったし、旦那様もお身体が不自由になって来られたりして、いろいろ奥様としては大変だったようです。
入院中にお見舞いに行った折に、いろいろお話をお聞きしたりもしました。
本来なら誰にも言いたくないだろう様なこともさっぱりおっしゃって、さばさばした方のように思っていました。
きっとたくさん働いても来られたのでしょう。
あの、憧れの○○さんと親しくしていただいてきました。
まだ気持ちの整理がついていません。
いろいろなことに忙しくしているから、そのことばかりに気持ちを取られているばかりではないけれど、でも開業当初から、公民館掃除などもご一緒させていただいたりしていたことなどを思うと、淋しくて仕方がありません。
急なことだったから、息子さんも、
無理させてたから・・・。
とおっしゃっていました。
このことはこのことで、私なりに生きるということの意味を考えさせられました。
生きているうちに、やりたいと思っていること、自分という人間を通して、実現しておきたいことなどを、ちゃんとやっていきたいと思ったのです。