昔、兼六園で・・・。

金沢に住み始めたゴールデンウィークに、学園時代の小学校の校長先生ご夫妻が遊びに来てくださいました。

美術館や兼六園にお連れしたのですが、その池で、カルガモかな?つがいで泳いでいました。
どうも雄に雌が着いていけてないようで、旦那様の方がすーいすーいと泳いでいるようで、幾分嫁の方がトロそうな・・・。

その姿に身に覚えのある新妻一人・・・。
その光景を見て、ああ、私みたい・・・、と思っていました。

どうも身体の調子がおかしいし、教員時代、調子を崩そうものなら、
「鬼の霍乱」とまで言われた私が、身体の調子がおかしくて・・・。
北陸の地に慣れないせい?と悩んでいました。

実はお腹に娘がいて、そのために体の調子がおかしかったのでした。

そのカルガモ?おしどりかな?
その様子に自分を投影するなんて、文学部の面目躍如?
違うって!

よほど戸惑っていたのでしょう。
自分の身体の不調に・・・。

誰も原因がわからなかったのだから、そりゃあ、対応もされないわけで。
だから、私はつい女性の味方をしてしまうところがあります。

気持ちも体調の面も。

元気だった自分が、不調で何もできない日が続くことへの戸惑い。
妊娠がわかってからの、できないことが多くなる周りへの申し訳なさ。

どうすることもできない辛さを過ぎ、でも、赤ちゃんが生まれてきたときには、もう、しあわせでしあわせで・・・。
元気な元気な子豚のような女の子が可愛くて可愛くて・・・。

みんなお母さんは強い弱いはあるだろうけれど、大変な思いしてみんなを産んでくれたんだよねー、と言葉にはあまり出さないけれど、でも、子どもたちに何か喜びごとがあるたび、ああ、この子たちにも私のような思いをしている親御さんがいるんだなあ、とつくづく思うようになったものでした。

ケーキを焼きながら、ちょっとごちそう作りながら、パーティーを開きながら、子どもたちを思うとき、ついつい親の気持ちを実感しつつ、生徒の親御さんへと共感していく気持ちをどうすることもできませんでした。

俵万智さんの歌に、

君のため花粉症の番組録画する妻に連帯してゆく心

という歌があります。

私は、愛人の妻に連帯していく気持ちはないけれど、この

連帯していく心

には非常に共感して、私の場合

ああ、親御さんに連帯していゆく心だなあ・・・。

と思ったことがありましたっけ。