誰かにだけ負担?頼りにしているって?

今日、3時間数学の授業のある日。
その間、文系科目の指導がなく、先日、珍しく風邪をひいたと思って、薬をもらってきたので、それを飲んで、休ませてもらっていた。
それなりに心労がないわけではない。
仕事のことではない。

途中で、数学講座に参加して、U先生と話していたのだけれど、あることについて、「私に対して、あまりに配慮が足りないと思わない?」と訊ねたら、彼は、「それは配慮が足りないというか、先生のことを頼りにしているってことではないでしょうか・・・。」とボソッと言った。

確かにね。
その配慮が足りない、ということについても、私が嫌だ、と言っていることに対して、「あなたが、○○してくれたから、大丈夫だと思って・・・。」と比較的主張が強い方に配慮した、としか思えないことだったので、それを頼りにしている、とか、言われてもなあ、と思っている。

何時だったか、どこかで書いた記憶があるのだけれど、ドクターに、「弱い人って得ですよね。」と言ったことがある。
そしたら、即座に「それ、めちゃくちゃようわかる。ある程度まではそうやなあ・・・。」
そう、だから、アドラー流に言えば、赤ちゃんが一番強くなるのである。

自己主張強く、泣き叫べば、ぎゃんぎゃん叫べば、周りはうるさくなって、もう、それ以外の人に黙ってもらおう、とするかもしれない。
そういう安易さが私は好きではないかもしれない。

きちんと言うべきことを言い、できることなら小さいうちにしっかりタイミングを逃さずに注意しておかなければ、これで行ける、と思ったら、それでいいことになってしまう。
それを許すことも、十分に罪なことだなあ、と思うのである。
親としての立場を想うとき、ああ、しっかり伝えておかなければならない。妥協したら、次から次へと妥協の連続になって、どこかにしわ寄せがきて、それを受け止めている人だってキャパを越えてしまうこともあるのだなあ、と思っている。
自分が誰かを粗末にした分だけ、結局粗末にされる結果になるかもしれないのだから・・・。