些細なことだけれど、大切なことに気付けたときの喜び

今日は、朝から実務仕事を片付けるために走り回っていた。
正直、こんなに時間が掛かるとは思っておらず、教室にたどり着いたのは、センター英語の授業の直前だった!
ただ、今日は、それぞれにいろんな用事があって、早めに来た生徒がいなかったから、別段その後の仕事に支障はなかった。

しかし、夕方になって、もしかしたら・・・、と気づいたことがあった。
先週末に進めようと思っていたことが、進んでいなくて、ある方に電話をしたら、不在だった。
ある人から連絡が来ないけれど、どうすればいいですか?というある意味指示待ちのような話。
ひとつ仕事を片付けて、その場で、その場にいる人に訊いてみたら、連絡を待っている人のところに直接出向いたら?ということになって、そのまま直行した。
そのお相手は、ああ、○○さん!という感じだった。
頭は?である。先週、その方から電話があると思います、と聞いていたから。
それから、親切に業務をこなしてくださった。適切な説明も織り交ぜて。
その間に、その指示をくださった方に電話をしてくださったが、やはり不在らしい。「一言言ってくれたらいいのに・・・。○○も、○○もいないらしいし・・・。」と言っておられるのを聴いて、アッと思ったことがあった。

私は、あまりこういう行き違いがない。
感情的なことはわからないけれど、事柄として、あまりない。
なんでそうなったのかな?とは思ったけれど、その件に関係する誰もが、手を抜いた、とか、粗雑に扱ったという感じでもなかった。

いつも、母に言われる。
あなたは、なんでもすることが速い。
娘がまだ、幼稚園に入園する前に、大阪に帰省した折のこと。
高校時代の後輩が、実家が遠くなったにも関わらず、遊びに来てくれた。
そのときの、彼女をもてなすために作った料理の、その作る時間が速かったと言っては呆れられる。

あなたは何でもすることが速い。
何をやらせても速い。
だから、気をつけなさい。
人も同じ、と思ったらだめやよ。と言われる。

事柄の連絡もそうだろう。
私は、たいてい、その時その場で、仮にほかの用事があっても、ちゃっちゃと連絡を入れてしまう。
なぜなら、後になって、まとめて、あるいは、この用事が済んだら、なんて言っていたら、絶対雪だるま式に用事が大きくなっていくからである。
誤解もあるかもしれない、と反省した。

悪気なんてなくても、進まないことを、咎めてはいけないな、と思ったのである。