価値観

今年も、県立入試の日が近づいている。
今も二階の自習室で勉強している子もいる。

高校受験について考えるとき、いつも、母校を思い出す。

よく似た学校を受験する子のために、いろいろ調べていたついでに、母校のHPにたどり着いた。
明確に「二兎追う」と書いてあった。学校の教育方針として。
だから、いわゆる勉強ばかりしている人をあまり知らない。
部活動がさかんもさかん。
ご立派に屋内温水プールを持っている。公立高校だというのに!

そんななかで、ちょっぴり寂しいことがあった。

本格的に仕事をし始めてから、先輩や同級生たちが、今、どんな考えを持って、どんな仕事をしているのだろう?と関心を持つようになった。
若くで、教員を辞めて、他の地方へ嫁に来て、あちこち渡り歩いてきた面もあり、母校の高校のことなどはほとんど考えることはなかった。
大学の地域の同窓会に出たことはあっても、高校のことは、あまり思い出さなかった。
でも、どこかで、○○高校だから、頑張らなくては、という想い、ちょっと何にも社会に役立ってないなー、とひどく焦っていたところもあった。

嫌っていたか、憧れていたか、どちらにせよ、思い出の中の中心人物は存在する。
母に言わせれば、○○先輩のことは、よく怒ってた。○○さんのことは、なんか男らしい感じしてた・・・、と言われた。
どちらにせよ、もしも、再会したなら、自分、よう、がんばったなあ、と「偉そうに」、言ってほしかった。
そう言ってもらえる自分になりたくて、頑張っていたような気がする。

インターネットの世界で、勝手に再会する。
顔つきまで変わって、なんか、普通、そんなセンチメンタルなことを発言したりするかなあ、と思っていたり、かと思うと、大きく政治批判?その年で(いくつも変わらないけど。)そんな、ちっちゃく収まる人ではなかったのに・・・。やたらと子どもの話題ばかり、しかも具体。そんな風に小っちゃくまとまっちゃう人たちではなかったような・・・。普通、それ書いたら、周りから顰蹙?というような具体的な話があって、それはなあ、と思った。
自分のことなど棚に上げ、切なくなる。
民主主義の国にいて、政治に関心持って、それなりに意見をまとめておくのは重要だけれど、それにどこかで自分の生活を依っている、みたいに感じられたのである。
自分を支えるために、おかしい!と叫んでいるような・・・。
私の感覚がおかしいのかな。
それとも、そういう世界だったのだろうか・・・。

何かあったんだろうな。

そんな話をしていて、ある人に言われた。
きっと、昔、自分の弱いところを見せられなかったんですよ。
強い人に限って、誰にも言えずに溜めてしまったりするでしょ?
言ってるだけ、それに、頭使ってるだけ、その人、まだ救われていると思いますよ。

私は、そう、そんな学校で、弱いところを見せまくっていた。
メソメソ泣くし、「お前は、ほんまにI高生か!?裏口ちゃうかー。」とまで先輩に言われた。
数学で追いかけられて(二年まで。部活がなくなったら、数学なんて、大したことなかった。)、メソメソ。でも、部活での立場?責任もあるから、腹を括って、高2の定期演奏会までは、勉強は後回しにした。

そもそも女性の方が強いのかもしれない。
外で気を張ってる分、男性は、大変なのかもしれない・・・。

だから、息子が小さいとき、うちでは、ゆるゆるさせた。
外で気を張っているのはわかったから。
美術が好きな娘と、野球が好きで、お友だちとギャングエイジをしている息子を誇らしく愛おしく思う自分はいても、彼らの付加価値的な面を、前面に出して、喜んだことはない。

先日、「先生のお子さんやったら、○○やろうねー。」と言われた。
この、能力?めいた言葉が苦手である。
○○かどうかは知らない。
けれど、それよりも、人を思いやったり、温かかったり、彼らの素敵なところをたくさん知っている。
きっと、最大級の褒め言葉として選んでくださったのではあろうから、その方をどうのこうのは思わない。
けど、○○、という言葉の後ろに隠れてしまう、もっともっと素敵な、彼らを形容したい、雰囲気が、どこかにぶっ飛んでしまう。
少なくとも、○○に行ってる、みたいな表現を、私はできない。
そういう枠組の中だけで、人を判断するのが苦手だから。

仕事柄、学校の話はよくする。
偏差値も大体頭に入っている。
でも、それとプライベートは別である。
私は、私が、社会に、どれだけ関われたか、ということでだけ、自分を位置付けたい。
少なくとも、一社会人として。
 
なんとなくわかってきたような気もした。
かつてよく怒られた。そりゃあ、強がって頑張ってる横で、弱さを出せる人間は腹も立つだろう・・・。
いや、まあ、下手だったんだけど。