原点ーしあわせるーむを開いた理由

数学の授業中に(演習中。)電話が鳴りました。
出ると、いつもの出版社さん。

記事にしてもらうほどのことをしているのかどうかわからなくて、ちょっとためらいながら、お話をお聞きしていました。
そしたら、まだまだ細々とですが、しあわせるーむにもちょっとした実績が重なっているということに気づいたのでした。

正直、しあわせるーむは、私の本業ではありません。
本業は教師です。
では、なぜこのような相談室を開いたのか?

子育ての最中に、私はよく悩んでいました。
夫の仕事が、わりと家庭にも入り込んでくるような仕事であったこともあり、戸惑うことも多かったのです。
それに私の性格も絡んでいたと思います。
私は、人の悪意がわからないようなところがあります。
自分の立場を守るために、窮鼠猫をかむ、ではありませんが、窮地に陥った人が、自分を守るために人を攻撃するのはわかるのですが、わざわざ人を攻撃して、なんとか自分の立ち位置を高めようとするようなことが、全く理解できず、いちいちまともに受けては、私が至らないのかしらん?と悩んでいたのです。
その後結構な年月を経て、ああ、人って、こんな風に人を攻撃するのだな、ということがわかるというような有様でした。

でも、数学ではありませんが(私は数学が大好きですが、いっとき、とんでもない劣等生だった時期がありました。)、苦労してできるようになったことは愛しくて、大切にして、誰かの役に立ちたいと思ったのです。
人が諦めるようなことでも、そして、ある意味大人になって、そういうものだと受け入れることでも、私は結構苦悩し、何とか改善されるように努めてきました。
それは往生際の悪い、いわゆる甘んじて受け入れる、という姿勢ではないのかもしれません。
悩んで、あれこれ対処して、時には人に助けを求めて、それが的外れで、あるいは相談した方々は笑っておられたかもしれません。
現実に、教育相談をしに行った・・・。
と言って、富山県の人はね・・・、という風に、先生を適当に立ててはおくけれども、そうそうあてにはしないのよ・・・。
などと笑われたこともありました。
それでも、私が、子どもたちのために自分ができることに対しては、自分なりに必死だったのです。
子どもたちに不安をぶつけるよりは、誰かに相談してでも、なんとかしたいと思っていたのです。
そういう意味では、とんでもなく人を信じてきたのだと思います。

その結果、正直、誰からも前向きになるような言葉はもらえませんでした。
この、もらえる、などというところに、私の怠け心と早く結果がほしい、という急ぎ心があったのかもしれません。

でも、振り返ってみると、答えも結果もほしかったわけではないのです。
子どものことを心配する自分の気持ちを何とかして、前向きなものにしたかったというのが本音です。
何とか愛情でくるみつつ、子どもたちが将来しあわせになれるようなあり方をしたい。
今現在の生活も楽しくありたい。
その折り合いのつけ所がわからなかったのだとおもいます。

それから、私のことを真っ直ぐでいい娘、と表現してくださる方もたくさんおられた反面、都会から来た、勉強ばかりしてきたプライドの高い人扱いする人もいました。
今なら、それはその見る人のこころの投影であったり、私自身の自信のなさからくる受け止め方のためであったり、あるいは、一つのことを全部がそうだと思ってしまうクセのためであったりするのだということにも気づくのですが、当時は一つ一つを真剣に受け止めすぎていました。
ただ、私の場合、一人で遠くからやって来たために、多勢に無勢的なところもありました。判断のしようがなかったのです。

いちいち真剣に悩んできた分、気付いたことも、対処したこともたくさんあります。
職場でのモラハラにもすぐに気づくようになりました。
そして、職場を辞めたい、と行ったときに、どういう言葉を掛けられがちなのか?ということも。
そして、例えばお母さま方のあれこれをお聞きしているうちに、ああ、それはモラハラにハマっているんだなあ・・・、とハッと気づくようにもなりました。
義両親の間で、お嫁さんとして、苦境に立たされて、でもご自分がどういう構造の中にいらっしゃるのかわからずになんか変だなあ・・・、と思いながら、お子さんのことに心を痛めておられる様子にも気づきました。

私は、何かあったら、あまりそのことから目を逸らしたり、適当に・・・、ということができません。
人がそういう気持ちもないのに、人の事情に入り込んだり、こころの境界線を越えようとは思いません。
でも、仮に、ご相談してくださった方が、本当にご自身の人生をよりよくしたい、と強く願っておられるなら、精一杯ご協力します。

私は資格を持っていません。
そしてもとうという気もないのです。

数年前、資格を取ろうかな、という発言をしたときに、ある方に、
先生は、資格取ったら、身動きとれなくなりますよ。今のままの先生が相談を受けた方が絶対いいですよ。
と言われたのです。
なるほどなあ・・・、と思ったのです。

そのことが実現したことがありました。
たくさんのお医者様に通ったり、ほかの塾さんや家庭教師の先生にも着いていただいていた、生徒さんがおられました。
数年、学校にも行かず、そのまま浪人生だったのですが、そもそも受験勉強を続けることが困難になっていました。
お聞きするところによると、お医者様にとんでもないことを言ってしまったこともあったようでした。
気持ちがわからなくもありません。
自分自身にイライラして、なんとか前に進みたいと思っておられたのだと思います。

私は教師です。
でも、逆に何も知らないから、気付いたことを全部実践することができます。
それまで身動きできなかったその生徒さんは、私があれやこれやするうちに、少しずつ周りにこころを開いて、受験仲間ともお話しできるようになって、それこそみんなでラーメンを食べに行くこともできるようになって、大学受験も突破できました。
今は、明るく大学生活を謳歌されています。
だから、ほかの先生方より・・・、というわけではありません。
その時その時の出会いで、たまたま、私と合った、ということなのだと思います。
当然、親御さんとの関係の調整もしました。

そういう自由度を持って、本当に望んだ方の人生が一歩でも前に進むお手伝いがしたいと思っています。
そんなこんなの、原点、というような思いに気づかされたお電話でした。

さてさてどんな記事が出来上がるのでしょうか?
こちらの出版社さんにお世話になるたびに、教室の、あるいは相談室の、そして、全体としてのチェリー・ハッピーの歩みがわかるというものです。
乞うご期待!