取材と写真💛


今度、電子書籍で、私についての記事を載せてくださる(結構長くて、10ページほどもあるらしいのだけれど。)ということで、昨日取材を受けたが、その記事にもしもできたら、子ども時代や若い頃の写真があれば、ということで、先日大阪の母に送ってもらった。
数日封も開けずに、取材の直前になって開けるという私。しかも選んだのも、取材の後で、「これはどうですか?」と訊ねている有様である。いつもの私。
母は、先日から、アルバムから探すのに必死だったようで、あれは?これは?としつこく?聞かれて、辟易する親不孝娘。「だからあ、あればあったでいいけど、なくってもいいんだって!!」と面倒くさくなってくる私。送り方まで指示?させられて、もう!となっていたが、そんな私の態度にもめげず、母は、自分のするべきことをきちんとしようと一生懸命。なんと、速達のレターパックの中に、ジップロックを使って、きっちり丁寧に入れてくれて、しかもセロファンテープできっちり写真のサイズに固定して貼ってくれていた。
それを見て、母が思わず、とっても愛おしくなった。実家にいた、まだ若い頃、母が一生懸命世話をしてくれた、その様子が、じわじわと思い出されてきた。
自分の日々の大変さに追われて、親に対する感謝を思い出せずにいたのかな、と反省する。そんな、反省というより、あれこれ面倒見てくれて、私が辛い思いをしたときに、そっと見守ってくれていた母の想いを、なんだか実感したのである。

かてて加えて、妹との仲のいい様子を写した写真がたくさん入っていた。
妹と私は、母が編んでくれたおそろいのポンチョを来たり、一緒に着物を着たり、そうして、普段着の時は、いつも肩を組んだり、べったりくっついていたりして、本当に仲良く映っている。
幼い頃、本当に妹が可愛くて仕方なかったことを思い出す。

ことさら可愛かったのは、プールサイドの階段に座っている写真。二人並んでいるのに、妹は、ふっくらした頬を尚膨らませて、伏し目がちに、なんだかちょっぴり不機嫌そうである。私が4年生の帽子を被っているから、妹は年長さんだったのだろう。その、妹のちょっぴり怒ったような顔が今見ると、可愛くて可愛くて仕方がない。自然に微笑まれてくる。本当に子どもらしい可愛い顔である。

母と話していると、妹は、おかきを落としてしまったかなんだか、子どもらしいことで、残念がっていたらしい。
昔から、気持ちがすぐに顔に出て、率直な、子どもらしい女の子だった。
おばあちゃんも、何かに考えがちな私より、無邪気な妹を構っていた。そう、妹は、本当に子どもらしく無邪気で、しかも、嫌なことからは、さっさと逃げて、かと言って悪気があるわけではなく、ただ、嫌なことは面倒なだけな、ある意味素直なやりやすい子だったと思う。
長じて、それぞれに受験があったり、それぞれに恋愛があったり、いろんなことで、子ども時代のようにはいかなくなったこともたくさんあったけれど、それはそれで、お互いに成長したのだろう。

今になったからわかることもある。
私は、バンカラな共学ばっかり、それも男子が多いところばかり通ってきて、きれいで、女子高、女子短大に行って、OLをして、女の子らしく、ほんとうにふつうに?生きている妹が羨ましかった。別に両親に何かを期待されたりするわけでもなく、末っ子らしく、のびのびとさせてもらっている妹が羨ましかった。ピアノだって、練習が嫌だから、やめさせてもらえた。
私がピアノをやめるなんて言ったら、母から、何と言われたかわからない。
自分が子どもをもって分かったことがあった。
上の子の方が大事、下の子の方が可愛い。
別にどちらが大事で、どちらが可愛いというのではないが、敢えて言葉にしてみるとしたら、この表現がピッタリとくる。

妹だって、私の妹だということで、今なら、ちょっと寂しい想いをしてもいただろうこともわかる。
どこに行っても、お姉ちゃんは勉強できるのに(相対的に見れば、そういうことになるのか・・・、という話なだけではあるけれど。)、とか比較もされていたようなことを聞いたこともあり、その当時は気にも留めなかった(というより、妹が羨ましかったから。)が、それはそれなりに寂しいときもあっただろうと思う。親戚からの受けも、私の方がよかったような面もある。ただ無邪気に、妹の方が可愛がられているような気がしていたけれど。
ないものねだりをしていたのかもしれないけれど・・・。

妹の旦那様は、5歳年上で、結婚当初から、妹を、「○子は子供やから。」と言って、大きな気持ちで接してくれていたようである。私への妹の気持ちがこじれたときも、妹に、「お前が、お姉さんのことを○○や言うて、羨ましがってるだけなんと違うんか?」なんて、度量の大きいところを見せていた。それは、自分自身のことも関わっているのに、私の前で、きちんと妹をたしなめ、「お姉さんも、○子は子どもやから、そんなに真剣にならんでも・・・。」と年下の私に言ってくれる、気持ちの、ある意味まっすぐした、気の大きな人である。そんな旦那様にもたれて、妹は、きっとのびのびできた面もあったのだろうと思う。主婦になって、彼女の良さが、より発揮できたのだろうと信じている。
よく妹が言っていた。
「お姉ちゃんが言うことは、何年か経った後で、ああ、正しかったんやなあってわかるねん。けど、言われたその時は言うこと聞かれへんねん。」と。
ならば、旦那様のアドバイスを、と思い、私は口出ししなくなった。
そんな妹が、それなりの年になって、立派な母親をしているのだから、ちょっとおかしくはあるが、頼もしくも思える。お互いに自分たちのことで精一杯だけれど、振り返ってみれば、幼い頃は、ほんとうに仲良くて、ずっと仲良くしていってほしいと願ってきた母の想いが、つくづくと実感できるのである。そうして、写真の中で、ピッタリと私にくっついている妹が、私を慕ってくれているのが、よくわかる。頼りにされてたなあ。なんか困ったことがあったら、絶対お姉ちゃんが助けてくれる、と信じてくれているようなところがあったっけ。

母が送ってくれた写真が、なんだかほのぼのと、幼い頃、若い頃の想いを、思い出させてくれた。
ああ、愛されてきたなあ、とも思うし、しあわせな時間だったなあ、とも思う。