周りを変えようとするか、それとも自分を変えようとするか?

今日、ある人と話していました。
ほかの人だと怒られるような話かもしれませんが、

私は、そういう発想にならないんだよねー。周りと変えようとはしないというか・・・。
自分がどう対応できるかということを考えてしまって・・・。

と言ってしまいました。

以前、長男の嫁として、あることを、まあ、なんとかできたよ、という報告を友達にしていて、同じ長男の嫁として、彼女が、
私はできなくても別にいいねん・・・、と言うので、
私はそれができないから・・・。
と彼女のことを絡めて言ったわけでもないのに、随分と怒られたことがありました。

私は、放っておくことができずに、ついあれこれやってしまうし、自分の努力で何とかなるものは何とかしてしまおうとするところがあります。
誰かの力を借りるという点ではどうか?と思うし、可愛げがない、というのかな?と思っていたら、誰かにけなげ、という言葉をいただいて、
そうなの?と思っていました。
けなげというのは、まあ考えてみれば微妙な言葉です。
だって、けなげというのは、報われなくても努力している、もうそれは、努力そのものが目的になっているかのような感じがします。(笑)

私は、3人兄妹の真ん中です。
それはまあ、報われることの少ない立ち位置だったと思ってきました。
家族の中で何かあると頼られるのに、どうも感謝されもせず、いつも誰かに怒られている・・・、それもなんで怒られているのかわからないようなこともありましたから。
でも、父が亡くなる直前は、父は私を頼りにしてくれていたのだなあ、としみじみ思い始めていました。

兄が東京から帰ってくると聞いたときには、その一週間前に用事で大阪に帰っていたのに、父と母と兄だけだったら、陰鬱な雰囲気になってはいけない・・・、と思って、高岡から車を走らせて、一緒に過ごしました。
そのとき、ちょっとしたお買い物があったときにも、父は、
行くで・・・。
と言って、私を連れて出掛けようとするのです。
入院するときも、母など連れて行く気もなく、その後すぐに帰る私に付き添ってもらおうとしていて、母に、
なんで来るん?
と言っている始末でした。
要するに私が使い勝手よく使われるわけです。
先生とのお話も私が着いて行ったら、母もいるのに、
書いてくれた?
と訊くし、先生も。
○○しといて!
とおっしゃって、私は、父と母が座っている横で、まるで秘書のように立って、先生と父の、私にはまったく気を遣わない言葉に、
ハイ!
と答えながら、この立ち位置、小さいときからよくあったな、と思っていました。

この冬期講習は、自分の仕事としての冬期講習もありましたが、プライベートでも、結構乗り切った冬でもありました。
ある意味自信をつけたかもしれません。
なんとかなるじゃない?私・・・。と。
なんでも時間の問題ではないんだな、と実感しました。
時間がなければ、工夫をすればいいのです。
効率的に動けるようにスケジュールを立てればいいのです。
できない、と思ってしまえば、そこで止まりますが、できると信じて、それもどこか楽しんでやっていればなんとかなってくるものだと思いました。

そんなこんなの連続で、いろんなことを楽しんできたのだな、と思います。

小さいころ、若いころは兄ともいろいろありましたが、父の死を乗り越えた今、どこかで兄の気持ちに思いを馳せている自分がいます。
兄はどう感じ、どう思っていたのかな?
とりあえず、兄も私もお互いのいいところを認めつつ、頼りにするべきは頼りにしてもいいのかな、と思っています。