父親というもの

実家の父が、検査で引っかかったと聞いていた。先日ブログで書いた、私のXデーに、しっかりとした検査結果が出た。
なんとなくの予感はあった。

奇しくも、婚家のお父さんと同じ病気。
そのときは、ワンワン泣いた。若かったから。
けど、実家の父は、今までだって、十分長く生きてきたし、ボランティアなどもして、人様のお役に立って、ありがとうともたくさん言ってもらってきたはずである。考えてみれば、同じ病気だとは言っても、20歳の差がある。
むしろ、少しでも長く、楽しんで、生活してほしいと思っている。
高齢だから、この後の経過は、正直わからないのだそうである。

でも、私は、これから受験期を迎える。
この後は身動きできない。
だから、今晩、大阪へと旅立って、明日には戻ってくる。

まさか、明日の日曜日が空くとは思っていなかったのだけれど、あれこれ調整をしたら、なんと丸一日空けることができることになった。
神様のお計らい?
一応、話しておかなければならないことだけは話して来ようと思う。
この後後悔しないように。

それにしてもなんというタイミングだろうか。
誰が見ていたのだろう?という、とんでもないタイミングで、ああ、こういうことになるのだなあ、と思う。
事理が至る、と言うか、どうしようもない、何かの差配で、こんなことが起こるのだなあ、と思っている。

昨日一日だけは、悩んだし、あれこれ考えた。落ち込みそうになる自分がいて、生徒に、「今日だけ赦してね。あさって大阪に行って来たら、もう、あなたたちのことだけ考えるから・・・。」とお願いした。
明日、帰ってきたら、きちんとけじめをつけて、きちんと自分が歩くべき道を歩こう。
それが、両親が私に望んでいることであろうから。真ん中っこの私に、そう望んでいるだろうから。