粘り強い女性のイメージ―可愛い金魚草💛

教室の前に咲いた可愛いピンクの金魚草。
このフリフリ。年々濃くなっていくピンク。
どんなに植え替えたり、ぞんざいに?扱っても、場所を移しても、絶対に次の年には、育ってきれいなお花を咲かせてくれる。
可愛く、年々美しさを増して、その姿に、私は、粘り強い女性を思い描く。
粘り強いと言っても、どこか可憐で、純粋な可愛いイメージ。
粘り強く苦労を乗り越えた、その苦労を苦労とも思わずに、ただ毎日を一生懸命生きている、育ちのいいふんわりしたお嬢さんのイメージがある。

白玉ー真珠のことを白玉というそうだ。確かに白玉である。
今は阿古屋貝で育てているらしいけれど、かつては鮑で育てたから、鮑玉と言ったらしい。
貝は、異物が入ったら、それを吸収して、美しい真珠に育てていくのだそうである。
その話を本で読んだときに、美しい人というのは、苦労を、自分の中で受容し、包容し、自分のしなやかな強さや、粘り強さ、ひいては美しさに変えていく人なのだろうと悟った。

私が、もう10年も前にひょんなことで出会った毎年可愛く咲いてくれる金魚草と、白玉が重なる女性がいる。
本人にもし言ってみたら、絶対、「そんなことない!」と否定されるだろうけれど、何があっても気品を失わず、人を損ねるようなことを言わず、それでも人のためになることをそっとしてあげるような、ある意味、傲慢ではない女性を一人思い浮かべることができる。
本人が、そうであると意識していないからこその美しさであるだろうし、また、気付く人にしか気づけない。
そうして、気付いた、そういう目を、そういう内面を持った人もいて、その人を私は、ひたすら強い人だと思っている。
再会したいなあ、と思っているが、その再会のときも、そうそう遅くはなさそうな気がする。
同級生である。年齢的には。同級生だからではなく、その女性の素晴らしさを見抜けた人だから、私は、心の底から信頼しているのである。
お互いの仕事を尊敬し、また、と言って別れて、もう、11年が経った。
決して嬉しくない別れではなく、再会を期待しての別れだったけれど、「お互いに、年取りましたね。笑」と言いながら、お互いの成長を見てみたい、と思うのである。