自分のことを庇ってもらう嬉しさ

別に事柄が変わる、ともまで行かなくてもいいのだと思う。
人は、誰かが、自分を守ったり、庇ったりしてくれるような表現をしてくれれば、救われるのだと思う。

このことは私が思いついたわけではない。
ある人が、語られたことである。

そばにいる人、夫なり妻なり、親なり、子どもなり、正しいとかそうでないとかではなくて、感情的に、私の大切な人間に、そんなこと言わないで、あるいは、そんなことしないで、と言ってくれる人がいるだけで、人は安心するのだと思う。

たとえば、状況は一つも変わることがなくても、その一言を、できれば本人の目の前で言ってくれれば、それで生きていけるほどの力があるのだろうと思う。

それから、仕事においても、上司に部下が、仕事の進捗状況を、率直に話しているだけで上司は安心するだろうし、それが都合の悪いことならなおさら、早く聴いておきたい。

初任の学校で、上司から、「あの仕事、どうなってる?」と訊かれて、完璧な状態になってから報告しようとしている自分に気づいた。
それから、ちょこちょこ質問に行ったり、今、○○の状態なんですけど・・・、と報告するようにしたら、途中で心配されることはなくなった。

同期もない状態で入って、さして後輩らしい後輩をもつこともなく、退職した現場で、3年間だけだったけれど、私は、本当にいろんなことを学ばせていただいた。

今日も面談をしていたけれど、ああ、あの時代があるから、私はこうして面談をしては、心が軽くなるようなお話をさせていただいているのだなあ、と思う。
お話をさせていただいているというより、聴いている方が多い可能性もあるけれど。
どちらが多いかの配分は、その時によるけれど。

たった一人の人の、言葉をあなたは待ってるのと違う?と言ってくださった方がいらっしゃる。
今日も、その言葉を聞きそびれた。
私は、ほんの少しの思いやりが欲しいだけなんだけどなあ・・・。

先日、保護者の方が言ってくださった言葉がありがたかった。
先生、プライベートも大事ですよ!
プライベートはできるだけ、見せないようにしておりますが・・・。
だからこそ、言ってるんです、と言われて、本当にありがたかった。

それに、個別指導を増やした生徒さんのお母さまから、
良かったのかもしれません。先生の負担は増えるけれど・・・、と言っていただいて、正直嬉しかった。
まっすぐに私の想いを受け止めていただいて・・・。

少しの言葉、ちょっとした思いやりの言葉が、生きる元気をくれることもあるよなあ・・・、と思う。