自分というもの・・・。

休暇をいただいている。
仕事はしない、と宣言していたのだけれど・・・。

ブログを書くことは別に仕事をしているつもりもないから・・・。(笑)
文章を書きたくて仕方がなくなるのも当然。

昨夜、時間を掛けて、ドラマを見ていた。
あ、時代が変わったなあ・・・、と思った。

生徒さんに、観てください!とお勧めされて、ものの見事にハマった。

女性法医学者は、自分自身生い立ちにこだわりをもっている。
仕方がない。
それを仕事によってだんだん乗り越えていく・・・、というより昔、昭和なら、乗り越えた、にするのかもしれないけれど、いや、なんか受け入れていく、という感じ。
昔は、しっかり向き合って、という感じがあったような気がする。

でも、最近は、なんとなくの仲間の中で、それを抱えながら、それでもそれと付き合って生きていく・・・、という感じがする。

何も解消しなくてもいいんじゃないかなあ・・・、と思う。
すべてを解決しなくても、まあ、自分と折り合いをつけて、このライン、というのを自分との付き合い方の中で決めていけばいいと思う。

主人公が、最後に、叔母であり、養母である母親にいう場面がある。
「絶望してる暇がない。」

これがすべてを表していると思った。

私は、教師だけしかしたことがない(これはほんちょっと嘘があり、ほんのちょっとだけお料理の仕事をしたことがある。一生のうちに一回はやってみたかったし・・・。一応先生でもあったけど。)。
もちろん、生業として、つまり生活のために、というのがないわけではない。
子どもたちにアイスクリームを食べさせていて、「ママは自己実現のために働いている。」と主張する子どもたちに対して、「そのアイスクリームは誰のお金で買ってると思うのよ!」と思ったことがある・・・。

もちろんお金のためもある。
当たり前。

でも、私は教師という仕事からはもっと大きな恩恵を被っていると思う。

人のために走っていると、自分のことを考えている暇がなくなるということ。
ついつい自分のことを考えてしまうけれど、人のことに真剣になっているうちに、いつの間にか、どうでもよくなっていたりする。

一昨年、父の病気が発覚した。
かつての同級生も頼った。
精一杯父のために走った。
昨年、父は亡くなった。
けど、どうしても、身内での話が多くなった。

年老いた母との会話の中には、小さいころの想い、あるいは細かい感情、これからの関係性。生活の利便性・・・。
などの話がつい出てきてしまう。

いやはや、私は生活の小さなことをおろそかにするタイプではない。

子どもたちが幼いころ、おいしくて栄養のある食事を作るのに必死だった。それこそ研究、というレベル。
スポーツをしていた息子には、どうすれば背が伸びるか?鶏がらスープ?
とか、病気がちだった娘のために、何を食べさせよう・・・?
もっと言うなら、頭だけを洗う夫のそばで、タオルを持って、待ち受けていたこともある。
だから、生活、というものをおろそかにしたことはない。

毎日の生活がどれほど大切かよくわかっている。

でも、こと自分自身のことを考えると、私は教師という仕事で、それこそ身体がクタクタになるまで働くことで、自分のことばかりに目が向かないようにしてきたのだと思う。

よく、仕事を、まだ本格的に始めていなかったころ、私はよく、医師になった友人たちを思い出した。
きっと眠ってなんかないんだろうな・・・。
食事に気を遣っている暇がないんだろうな・・・。

勘違いしないでほしい。私は、そんなにできないし、もし仮にできたとしても、医療現場でだけは働けないと思っている。
だから、医師になりたかったなんて思ったことはない。
そうではなくて、その激務をこそ羨ましかっただけである。

いつも睡眠不足で、次から次からするべきことがあって、それに対応するのに忙しくて、何も考える暇がなさそうなところだけ・・・。

私は自分の内面にだけ目を向ける自分が嫌いなんだな、と思う。

高校時代、「自分のことしか話せへん。」と非難された。
大学時代も、それに近いことを言われた。

それが、教師という仕事によって、自分のことを話す暇がないくらい、仕事が忙しくなって、私は本当に救われた。
それがいいのかどうかは別にして・・・。

私には、兄がいて、妹がいて、いろんな想いがある。
両親に対しても想いだってある。

父の死によって、私は一気に自分のことを以前より考えるようになった。
それが今、ちょっと嫌だ。

社会的使命感が強すぎる、と表現されたからかもしれない。
もっと自分を楽しもうよ!という話が多いからかもしれない。

でも、やはり、どんなことを言われたって、やっぱり仕事をしているのが一番ラクなのだと思う。

そんな自分の想いを、ドラマの中の主人公が、「絶望している暇がない。」と言ってくれたようで、私は、やけに納得したのである。

今、世の中で、自分の内面の掘り起こしをするのが、流れかもしれない。
一方、アドラー心理学のように、かつてのトラウマに囚われるのは、今の自分が行動しない理由にしてる、という説もある。

自分が生きていくのに、どちらがいいのかそれぞれのやり方を採用すればいいと思う。

けど、私の場合は、できれば、間違ってるかもしれないけど、人のためになることをすることで、自分のことから目を逸らしているだけかもしれないけれど・・・。

だから、ビジョンが広めな人の方が助かる。
ひと月ほど前になるだろうか・・・?
私のビジョンをいきなり狭くするような話題を振られて、それから、しばらく混乱を起こしたことがあった。

今、書いていて、わかった。
私は最近視野が狭くなっていたんだなあ・・・、と思った。
そして、それが一番嫌だったんだ、と気付いた。

そういう合わない人とは話さなければいい、と思う。
その危険性があれば、逃げろ!

これは、私が勝手にメンターにしている、ある人の言である。
なるほどね・・・。