誇りに思える母ー父の闘病

大阪の実家の母が、一人で父を看病している。
三人兄妹の中で、比較的近くに住んでいる妹が、わりに頻繁に行ってくれて、手伝ってくれているとは言うものの、基本的に一人で看ている。
一生懸命に、父を看ている。
小さな身体で、脚も腰も悪いのに、少しでも父の命が延びるように、一生懸命である。
「お父さん、少しでも食べて。」と父に言っている。

ゴールデンウィークに帰ったときには、「お父さん、元気そうやん。」と言ったら、「それがそうでもないねん。」と本音をポソリ。
どうも、ほかの兄や妹たちよりも、私は本音で弱音も言えて、頼りにしていた娘のようである。
私が、お豆腐をスプーンの上に乗せたら、父は、やっと三口、余分に食べてくれた。これだけ食べて、と玉子豆腐を出したら、一さじ、もう一さじはたくさんめに食べてくれた。
弱っている父を見て、絶対に泣くまい、明るい私でいようと決めている。

母は、少しでも父が快適でいられるよう、入院したときには、外の景色が見える部屋をお願いし、少しのことでも父のためになることを一生懸命にしようとしている。娘から見ても、その姿はいじらしく、ああ、いい夫婦だったのだなあ、と思う。

先日、母から聞いた。
自宅に置いてもらうベッドを選ぶとき、父は、一言、「お母さんがいてたら、それでええねん。」と言ったそうである。
母にはいてほしいけれど、ある意味気を許して、別になんでもしてもらってもいいと思っているのは私のようで、ああ、信用あったんだなあ、頼ってくれていたのだなあ、と実感する場面が多い。

ここにきて、私は、母のことを誇りに思っている。
音も上げず、父を自分で看取ろうとしている母。
入院するのが嫌な父のために、なんとか小さな身体で、支えようとしている母。
投げ出さずに、少しでも、少しでも、と頑張っている母に、ああ、私、この人がお母さんでよかったなあ、と思うし、ああ、父は私を頼りにしてくれて、なんでも言える娘だったのだなあ、と思うのである。

三人兄妹の中で、私だけが父に連れられて、出掛けたことがあった。
なんでなんだろう・・・?
父が、「うどん、食べていくか?」と訊いてくれたことがあった。
ある駅でのことである。
そんなきれいな立派なたたずまいのお店、とかいうのではなかった。だからかな。余計に覚えているのだけれど・・・。
その、珍しい父と私、という組み合わせで、外で食べた、そのおうどんのおいしかったことが忘れられない・・・。
父も、何度も「あの真弓と食べたうどん、おいしかったなあ・・・。」と言ってくれていた。
テレビで映されたときも、父と私は、秘密にもならない秘密を共有しているように、「あそこやったなあ。」と嬉しく話していたのを覚えている。

先日、母に聞いてもらった。「あの、おうどん食べたん、わたし、ほんまにおいしかったわ、って、言うといて・・・。」と。
そしたら、母が言ってくれた。「お父さん、覚えてる、って。」
ああ、お父さんも、私と食べたおうどんがおいしかったんだな、って。
そのとき、私は本当に嬉しかったんだな、って。
どうも兄や妹の方が可愛がられている気がして、寂しかった真ん中っこの私。

父は、頼りにして、この子は大丈夫、と思ってくれていたようである。